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BOOKレビュー

倫敦から来た近代スポーツの伝道師』
−お雇い外国人 F.W.ストレンジの活躍−
高橋 孝蔵(著)

小学館
ISBN:978-4-09-825136-0


今回の特集を編集しているうちに、突然、と言うか当然ながら、と言うか、日本に近代スポーツを移入したのは誰なんだろう、という疑問がふと頭に浮かびました。早速、図書館の検索機能を利用して、キーワードをポチポチ入力し探してみたところ、ヒットしたのが掲題の書籍です。

さて、皆さんご存じのように、現在、世界中で広く行われているほとんどのスポーツは、近代イギリスで生まれたか現在のルールが形作られたものです。サッカーしかり、ゴルフしかり、テニス、ラグビーしかり。これに対し、江戸期までの日本には近代的意味での「スポーツ」は無く、「身体を動かすこと」と言えば、剣道や柔道にその名残りが見られるように「道」=求道の概念に結びつき、武士の精神と身体の鍛錬のため、というのが主流でした。 「スポーツ」が渡来してほぼ150年。今に至るも遂に、「スポーツ」の適当な訳語を見出せず、外来語のままで使っているのを見ても、日本人にとってその概念がイメージし難いものであったろうことが推測できます。

おそらく幕末から明治初期にかけて、初めて近代スポーツに触れた日本人は、この「スポーツ」という概念の理解に、まず苦労したのではないでしょうか。 「〜道」とはモチロン違い、「身体訓練」とも違う、もっと複合的な概念を「スポーツ」は含みます。訓練や鍛錬はスポーツにもあるわけですが、それはトレーニングとしての側面であって、スポーツはその上位概念に、明らかに、「楽しむ」という要素、つまり、「遊び」という要素を持っているのです(これは、「遊ぶ」、「楽器を弾く」「(何かの)スポーツをする」のいずれにも、英語では「Play」という動詞が当てられることからも明らかです)。

さて、そうした日本に様々なスポーツを伝え、ゲームのルールを伝えたのが、このF.W.ストレンジというイギリス人です。この書籍は著者の熱意と努力により、これまでほとんど実像が判らなかったストレンジという人物の出自、教育、来日の経緯、来日後の日本スポーツ界への貢献を、広く明らかにしたものです。因みに、大学間対抗試合(野球、レガッタなど)、大学でのスポーツクラブ活動(部活動で、これが後に、いわゆる「体育会」に繋がっていきます)、それに運動会などを組織し、広めていったのは、他ならぬこのストレンジさんなのです。

ワイン商を営む裕福な家庭に生まれたストレンジは、1875年、純粋な興味と好奇心から、当時のヨーロッパから見れば僻遠の地であった、「極東」日本に自費でやってきます。そして、東京英語学校(この学校の歴史は長くなるので省きますが、昔の第一高等学校、いわゆる「一高」の前身に当たります)の教師となり、35年の短い生涯の半分をこの日本で送り、日本の土となりました(お墓は青山墓地にあるそうです)。

とにかく、当時の日本の若者は、西洋列強に追いつけ追い越せと、勉強ばかりしていたようで、横浜で発行されていた外国人向けの新聞でも、その勉強振りに比して、運動不足から来る体力や身体能力の欠如、免疫力の低下が、真面目に心配されているくらいです。これもこの本に出てくるエピソードですが、後に東京帝大(後の東大)の初代工学部長になった古市公威は、彼の勉強のしすぎを心配した下宿のおかみさんに、「私が1日休むと、日本が1日遅れるのです」と語ったとか。「朕は国家なり」の変形バージョン(?)でしょうか。その意気や良し、ですが、今、こんなことを言い出せば、直ちに、精神状態が疑われかねませんよね。しかし、当時の学生(=エリート)は、本当に自分が天下国家を背負って立つことに疑問を持たず、猛勉強に励んでいたようです。漱石が東京帝大の英文科に入ったとき、英文科生は彼を入れて3人しかいなかった、というのは有名な話ですが、最先端のことを学ぶ立場と能力に恵まれた以上、それを国の役に立てなければならないという思いは、強かったのでしょう。

さて、そんな勉強熱吹き荒れ、どちらかと言えば頭でっかちな明治日本で、ストレンジはスポーツを根付かせようと奮闘します。 まずは運動の習慣をつけるにも、メンバーを集めてゲームを教えるにも、やはり学校がキーだろうということで、当時の語学学校や専門学校に体育の授業を行うことを進言、東大では東大初の運動会を開いています。この運動会が評判を呼び、だんだんと他にも開催する学校が出てきます。こうして、長い時間をかけて、ゆっくりと明治日本にスポーツとその概念が根を下ろしていくことになります。 また、ストレンジは、イギリス人らしく「スポーツマンシップ」を非常に重視しました。「負けるときは良き敗者であれ」という、グッドルーサーの思想、どんなに力の差のある相手との勝負でも全力を尽くすこと、フェアプレイの思想、スポーツの意義は勝つことではなく、克己や仲間への思いやりとみんなのために尽くすという自己抑制、即ち、人格の陶冶にこそあること。そうしたことを一つ一つ日本の地に伝えていったのですね。特に、この「スポーツマンシップ」は「武士道」との類似性が強く印象付けられたようで、スポーツへの世間の見方を変えていく一つのきっかけにもなったようです。とても面白い本ですので、興味のある方は読んでみて下さい。

明治初期の日本についての様々な書籍を読むたびに、国家にも青春時代があるのだなあ、と思わざるを得ません。そして、スポーツはやはり青春時代にこそ最もよく似合うのではないかという気がします。

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