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特集

野球変化球−その奥深い世界を科学で解明

理化学研究所
情報基盤センター長
姫野 龍太郎 氏

変化球研究事始め

私が変化球の研究を始めたのはちょっとしたことからでした。ある集まりで、今も当理化学研究所におられる戎崎先生に会ったとき、当時は「ハマの大魔神」と呼ばれていた佐々木投手が全盛期だったのですが、バッターはなぜ佐々木のあんなワンバウンドするようなボールを、つまりフォークボールですね、バットを振ってしまうんだろう?という話になったんです。それで、フォークボールのシミュレーションができたら面白いね、ということになったのです。

そもそもボールはなぜ変化するのか。それはボールの周囲の圧力差によります。空気の流れの中をボールは回転しながら通っていきますが、流れの向きとボールの回転方向が一致する側では速度が速くなり、流れの向きとボールの回転方向が逆になる部分では遅くなります。速度が遅いということはその部分の圧力が大きくなるということで、圧力の大きい方から小さい方へと力が働きます。これがマグナス力と呼ばれるものです。このマグナス力は流れの向きと回転軸の方向に直交して働き、物体の回転数が多くなるほど大きくなります。

図1 ボールを変化させる力

野球の直球はバックスピンがかかっていますから(回転数は、プロのピッチャーで毎秒30〜40回転)、マグナス力が上方向に垂直に働き、ボールは真上に浮き上がります(図1)。これに対し、カーブの場合はサイドスピンがかかっていますから、マグナス力はボールを横に曲げる力として働くことになります。

フォークボールをシミュレーションしてみた

元々私の専門は自動車に働く空気力学的特性(空力特性)の計算機シミュレーションでして、実は、フォークボールの研究を始めた当時はまだ、日産自動車の総合研究所に勤めていました。所長が大変理解のある方で本務に支障を来さないことを条件に、フォークの数値解析研究をやらせてくれたのです。

図2 ボールのメッシュ図

空気の中を物体が動くという点は、自動車もボールも同じです。なので、このシミュレーションも軽い気持ちで始めました。しかし、いざ始めてみると、これがなかなか大変で、まずボールの正確な形状を入手しなければなりません。また、形状を入手してからも、それをメッシュに切るのに、自動車全体のメッシュを1週間で切る日産のメッシュ切りの専門家が1ヶ月かかりました(図2 ボールのメッシュ図)。

さて、シミュレーションに入る前に、私はボールが軌道の途中で重力以外の下向きの力 を受けて落ちるとしたら、その条件は何だろうかと考えて、仮説を立ててみました。それは次のようなものでした。

ボールがピッチャー・キャッチャー間で0.5回転するとします。ボールの回転数が少ないのでマグナス力は無視できる大きさでしょう。だとすると、この場合、ボールが受ける力に何らかの影響を及ぼす要因があるとすれば、シームしか考えられません。

シームが下側にあれば、流れはそのシームにぶつかってから後ろに流れていくはず。一方、そのときボールの上部は滑らかで流れを邪魔するものが何も無いので、普通にスムーズな流れを作るはずです。そうするとボールは、この流れから上向きの力を受けて浮き上がります。その後、ボールが回転し、上側にシームが来て下側が何も無い滑らかな状態になれば、上述とは反対に、ボールは下向きの力を受けるはずです。

実際にそのときの計算結果はこの仮説を裏付けるもので、シームによりボール周囲の流れに偏りができ、それが原因でボールに大きな力が働くことがわかりました。シームによるボール周りの流れの偏りが重要で、ボールの下部にシームがあるときは上向きの力を、上部にシームがあるときは下向きの力を生んで、その力を受けてボールが下に落ちていくという可能性があるとわかったのです。

ところが、同じ頃、名古屋大学の桜井先生、福岡工業大学の溝田先生といった実験系の方々が次々に論文を発表され、こぞってフォークボールには重力以外は働いていないという結論を出されました。その頃には高速ビデオ解析が進歩して、ピッチャーのフォームとボール軌道の細かい分析が可能になっており、溝田先生はフォークボールを決め球の一つにしていた野茂投手と佐々木投手の投球のビデオ解析を行い、その結論を得たのです。つまり、その二投手の投げるフォークは通常の放物線を描いていただけ、ということです。

フォークボールの真実

意外に思われるかもしれませんが、この溝田先生たちの結論は、現在使われているフォークボールについては一般的なものなのです。と言いますのは、私たちが野球の試合を見て、通常「フォークボール」と言っているものは、ほとんどが普通に放物線を描いて落ちていく「普通の」ボールなのです。では、なぜ打者がバットを振ってしまうのかと言うと、それは、ストレートが来ると思っているから。

これは、ピッチャーの中にも誤解している人が結構いるのですが、フォークボールの本当のポイントは、「落ちる」ことにあるのではなく、投球フォームが直球と同じというところにあるんです。つまり、握りや投球フォームから直球とフォークの区別がつかない(打者に読み取られにくい)というところがミソなんですね。打者は直球の軌道を予想しバットを振るが、その前にボールは落ちてしまう。それだけのことで、フォークボールは、重力の法則に従って落ちているだけなんです。

そういう意味では、実は直球の方が変化球の「変化」という語義には当てはまるくらいです。ストレートは、最初に述べたようにボールの上側と下側の圧力差により、マグナス力を受け浮き上がっている(ホップしている)球なのですから。

本当に「落ちる」フォーク=落ちるときに下向きの力が働くフォーク

図3-1 縫い目位置の違いで大きな変化

図3-2 総圧の違い

しかし、私が計算機シミュレーションで再現したように、本当に下向きの力を受けて落ちるフォークボールもあるのです。これは、今となってはもう事実かどうかを確かめる術がないのですが、1950年代に中日ドラゴンズで活躍した杉下 茂投手のフォークがこのタイプの「落ちるフォーク」であったと思われます。非常に変化が大きく、打者からは、ヒラヒラと舞う蝶のように見えると言われていました。

杉下投手が投げていたのは、非常に回転が遅いフォークボールだったと考えられます。

例えば、ピッチャーの手から離れて打者のところにくるまでに0.5回転しかしないような場合は、ボールのシームがどこにあるかによって、シームの背後に作られる流れが大きく偏ってしまいます。しかも、ボールがゆっくりした回転するために、その偏る方向が変わり、打者が口々に言うような蝶が舞うような変化をボールに与えていたと思われます(図3-1,2)。スキルのある打者がフォークボールが来るとわかって待ち構えているときでも、杉下投手のフォークは打てなかったと言われています。

こうした変化の大きなフォークボールは、ナックルボールやパームボールと分類されるべきものかもしれません。そして、こうした球種の不規則な変化を生み出しているのが、ボールの回転速度とシームなのです。

変化球の分類とジャイロボール

こうした結果から、私は現在、変化球を以下のような分類で考えています。

変化球の分類

  1. マグナス力を利用するもの
    ストレート、シュート、カーブ、シンカー、スライダー
  2. マグナス力によらないもの(=シームの作る流れの偏りによるもの)
    杉下投手のフォーク、ナックルボール、パームボール
  3. 変化球とされているが実は変化していないもの
    いわゆるフォークボール

図4 変化球の回転

図5 使われていない回転

上表の変化球の回転も次図に示します(図4)。

さて、この図の中には含まれていない回転の方向があります。それは、進行方向と同じ方向を軸にしている回転です(図5)。

アメリカンフットボールのパスを見たことのある方は、ボールが進行方向に向かって螺旋状に回転しながら飛んでいっているように見えた記憶があると思いますが、ああいう回転です。この回転を野球のボールにかけたものを、私たちはジャイロボールと呼んでいます。ジャイロボールという名称がまだ一般化していないため、こうした球は「落ちるスライダー」と呼ばれることも多いです。

実はもう、このジャイロボールを投げる選手が結構いるということもわかってきました。例えば、松坂投手の持ち球で、やはり「落ちるスライダー」と呼ばれているものは、まさに、この回転を使ったジャイロボールです。これは、松坂選手がプロに入団して大活躍を始めた時期、NHKから松坂投手の球はどうして打たれないのか分析して欲しいという要請を受け、解析を試みたところ判明しました。

松坂投手については、その後もう一度、解析を頼まれたことがあります。それも、このジャイロ、「落ちるスライダー」の件で、彼が大リーグに移ったばかりの頃でした。再びNHKから、「松坂のスライダーが最近落ちなくなっているように見える。分析してみてほしい」と頼まれたのです。

これも、実際にやってみると大変面白い結果が出ました。実は、スライダー(ジャイロ)は、日本いるときよりよく落ちるようになっていた。しかし、逆に、ストレートが浮き上がらなくなっていました。見る人の目にはスライダーが落ちなくなっていると見えたのですが、実際はストレートがホップしなくなっていたのです。日本にいるとき、彼のストレートの回転軸は傾きが10度程度だったのですが、その当時は、それが40〜50度にもなっていました。この傾きによって彼のストレートが得られるマグナス力の向きが傾き、揚力が小さくなって、球が浮かなくなっていたと思われます。

「魔球」の可能性

私の研究の結論として、『魔球をつくる』という本にも書きましたが、新しい変化球が生まれる可能性も考察しています。一般に全てのボールの軌道は、ボールの回転数と回転軸の向き、回転時のボールのシームパターンの3つによって決まります。

回転の方向がバックスピンかサイドスピンか、あるいはジャイロか、ボールの回転により現れるシームパターン(4シームか2シーム)か、これらの組合せにより、いろいろな変化球が、理論的には可能になるということですね。そうして、その中に、「新しい魔球」となるものがあるかもしれません。

野球ボールのシームの盛り上がりはわずか1ミリ程度です。しかし、この1ミリの周囲は境界層で、周囲の空気の流れが非常に複雑な変化を起こす場所であり、その存在が変化球を生む大きな要因になっているのです。

本来、シームはただ皮を縫い合わせてボール状にするためにできたものですが、このシームがあることで、ピッチャーは複雑な変化球を投げることが可能になっているのです。ちょっと不思議な感じもしますね。 「たかがシーム、されどシーム」。実は、野球を面白くしているのは、この小さな部分、シームなのかもしれません。

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