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特集:医用工学の世界

実世界ハプティクスとその応用

慶應義塾大学理工学部  システムデザイン工学科  大西 公平 教授

1.はじめに

メカトロニクスやロボティクス技術は本来生産技術のために開発されたもので、前者が後者の基礎になっていたことは意外に知られていません。1970年代から始まった数値制御技術(NC技術)無くして今の産業用ロボットの発展はありえなかったでしょう。元来、NC技術は位置決めのサーボ技術であり、精度の要求される工作機械に搭載されるものでした。その基本はできるだけ高い直列利得を挿入することにより、静的な誤差ばかりでなく動的な誤差も押さえ込むところにありましたが、CPUの導入による、いわゆるソフトウェアサーボ技術がそれに拍車を掛けることになると同時に、多機能になって現在に至っているのは周知の通りです。

一方で、このような工作機械の独壇場である大量生産によるものづくり主義に、価格競争の激化による転機が訪れました。極端な過当競争と安価な輸入品との消耗戦に勝つために、国外への工場移転や製品の絞り込みを行った結果、生産量と輸出の確保には成功したものの、雇用と新産業の創出には結びつきませんでした。高度成長時代に成功した少品種大量生産の成功体験から抜け出る発想が出てこなかったからでしょう。例えば「ものづくり基盤技術振興基本法」は10年前に公布されていますが、依然として、ものづくりとは工業製品の生産にあるという前提に立って産業振興を行おうとしています。確かに少品種大量生産方式は日本の生命線であったし、今後もその一翼を担うべきものです。しかし、日本がいつまでもこのような守りの路線に拘泥するようでは、未来は無いのではないでしょうか。社会の持続的な発展には経済的な成長が担保されていなければなりません。そのためには、新しいテクノロジーによる新しい事業展開、つまり、「攻めの発想」が必要です。ニーズとなるキーワードは既に世に飛び交っており、代表的なものとしては、「少子高齢化対応」や「安全社会の実現」などが挙げられるでしょうが、それが富を生むかどうかはテクノロジーのシーズに依存します。そして、ハプティクスとは従来のメカトロニクスやロボット技術では実現できない動作を実現する、新しいシーズ技術なのです。

2.ロボットによる接触作業

少子高齢化対応や安全社会の実現に欠かせないのは医療の高度化です。医療には診断と治療がありますが、どちらも新しいテクノロジーによる高度化が求められています。例えば、がん治療において外科的治療は重要ですが、同時に、体内触診などの診断も早期発見に繋がると期待されています。これらの例はいずれも接触動作を伴いますが、この接触動作をロボット支援技術で行うことが今後の医療には必要になると思います。今まで、接触を伴う作業は工作機械やマテハンなどでは実現されていますが、これらは力加減を必要とする作業ではありません。今後の新しい産業展開において、接触後の力加減を制御する作業を伴うことが重要です。それがメカトロニクスや産業用ロボットに見られる塗装や溶接などの非接触作業ではなく、組立・段取りなどの接触作業の自動化にも繋がり、生産技術のボトルネックの解決になるという期待も持てます。しかし、もっと大切なことはこの技術が産業界の技術に留まらず、広く社会に普及するオープンテクノロジーとしての可能性を秘めているということなのです。喫緊の例として、外科支援手術ロボットを挙げます。ロボット手術における術者への力のフィードバックは外科医からの強い要望ですが、現在市場で販売されている外科支援手術ロボットは力触覚の術者提示機能が無く、より安全な手術やより難度の高い手術の外科支援に向けて、力触覚提示機能のあるロボットへの期待が高まっています。これを突破口として、福祉介護などの人間支援技術に展開することが可能になるでしょう。更には、第一次産業や第三次産業への展開へと繋がると予想され、新しい産業や雇用の増大への道のりが見えてくると考えています。

3.実世界ハプティクスと触覚鉗子付低侵襲性外科手術支援ロボットシステム

接触技術や力触覚情報の伝達再現技術は広く、ハプティクスとして知られています。これまでハプティクスは、コンピュータ内の仮想モデルに対する仮想力覚の相互作用を再現するテクノロジーとして発展してきました。現実の物体や周辺環境の接触情報を伝送し、再現する実世界ハプティクス技術は比較的遅れており、これが外科手術への応用に結びつかなかった原因であると思われます。しかし、この実世界ハプティクスは、モーションコントロール技術により実現できることがわかってきました。


図1 人間の五感情報伝達と身体性支援

図2 加速度基準バイラテラル制御方式による
バイラテラル制御系の実現

今まで、人間の五感のうち視覚と聴覚については、電信電話技術やテレビジョン技術としてその伝送・記録保存・再現などが可能になっており、巨大な市場を形成しています。しかし、力触覚については1950年代から研究が始まりましたが、鮮明な力触覚の再現には成功していません。その理由として、図に示すように力触覚が視覚や聴覚と異なり、信号の流れが双方向的であることが挙げられます。視覚や聴覚は送信側から信号を送っても受信側から送信側への反作用が無いため信号の流れは単方向ですが、力触覚では力の作用反作用則のため信号が双方向的になるわけです。この信号は時間遅れを許さないため、高速な制御と通信が必要となり、時間遅れを許す視覚や聴覚の情報伝達に比べて実現が難しい一因となっているのです。人間支援には接触性の支援と非接触性の支援がありますが、実世界ハプティクス技術は前者の技術プラットフォームの中核技術になるもので、この困難を乗り越える必要があります。詳しく言及はしませんが、力の作用反作用則の実現の他に、マスター(操作側)とスレーブ(被操作側)の位置の一致を行う制御が必要不可欠であることはもちろんです。


この二つの要求を同時に実現することは実は矛盾を孕む可能性があります。相互位置の一致性は剛性の高い制御であり、力の作用反作用則の実現は剛性の低い制御を要求するので、これらを同時に満たす新たな手法が必要になるからです。

位置の追従性と力の作用反作用則はそれぞれ次の目標式で表されます。

ここでxは位置を、fは力を表し、添え字mはマスター(操作側)をsはスレーブ(被操作側)を表します。前者を実現する位置制御はこれまでのサーボ技術を援用すれば良いので、特段の新しい技術は不要ですが、後者は力制御系です。力制御系においては接触時に所望の力を発生します。言うまでもなく、完全位置制御では接触動作をさせると力不定になり、完全力制御では非接触動作をさせると位置不定になります(この二つの系は同一方程式で記述される双対系であり、前者は理想電圧源の短絡で後者は理想電流源の開放に相当します)。 (1)式の実現はこの二つの系をできるだけ理想状態にして同時に実現することであると解釈できます。これを実現するには、(1)式の共通変数である加速度を用いて次のような座標変換を導入することが有効です。

これは45°右回転させる座標変換であり、2次Hadamard変換に相当します。実際のバイラテラル制御に導入すると図2が得られます。これを加速度基準バイラテラル制御方式(Acceleration -based Bilateral Control, ABC方式)と呼んでいます。


図3 開発した触覚鉗子付低侵襲性
外科手術支援ロボットシステム

加速度制御系はモーションコントロールのロバスト制御系の結果でもあり、力制御系の柔らかさと位置制御の硬さが機能的に非干渉化されて、実現できます。その意味で(2)式は非干渉化のための変換式と考えても良いでしょう。もちろん、(2)式第1行は和のモードであり第2行は差のモードであるため、マスター・スレーブモードから和差モードへの変換と考えることもできます。

これを外科手術支援のための触覚鉗子に適用しました。全体図を図3に示します。実用的に重要なのは力検出器が不要なことで、位置検出器のみでバイラテラル制御が実現できます。実装例を図4と図5に示します。

このバイラテラル制御系の性能は表1で示す通りです。直動と開閉の鋭敏な触覚伝達が可能であり、2010年秋の内視鏡外科学会での動態展示で外科医からは好評を得ました。



図4 右手用マスター側

図5 右手用スレーブ側
(力触覚付き鉗子と位置決め用のマニピュレータ)

4.終わりに


表1 触覚鉗子付低侵襲性
外科手術支援ロボットの鉗子力覚性能

人間は物理的な距離もしくは時間をテクノロジーによって短縮するために、様々な手法を模索してきました。これは、距離や時間という物理的な制約を、身体性の拡張もしくは延伸によって解決するということに他なりません。そのようなテクノロジーとして遠隔操作があります。ハプティクスは遠隔操作の実現手段として有望で、これをテレハプティクス(遠距離間におけるハプティクス)と呼びます。つまり身体性を空間的のみならず時間的にも拡張および延伸できるということです。従って、より自由度の高い身体性の拡張および延伸が可能であり、様々な分野での応用が期待できるわけです。リハビリテーションやスキルトレーニング、また、介護や福祉にも応用が可能となるでしょう。このような身体性情報の獲得と再現が可能になれば、第一次産業や第三次産業にも展開が可能です。農業や看護ビジネスに発展できれば、そのマーケットは世界中に広がり、新産業創出や雇用の拡大が現実のものになるでしょう。実世界ハプティクスは未来志向の技術なのです。


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