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【前編までのあらすじ】 サイバネットの医療ソフトウェア開発部は、AIを活用した大腸内視鏡画像診断ソフトウェア「EndoBRAIN-X」および「EndoBRAIN-EYE」について、2種類の診療報酬加算(以下、「加算」)申請を同時に進めるという、前代未聞の難事業に挑んでいた。 |
産官学のチームプレー
【2023年8月】
「やべ!厚労省からまた質問が来てる!」遅い昼食を急いで終えた小野は、パソコンを開いて青ざめる。
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EndoBRAIN-Xについて医療課より追加質問事項が発出されましたので、明日の12時までに回答案をご提出いただけますでしょうか。 |
以下、技術的かつ難解で、細かい数字が必要な質問が続いている。1日で回答しろとか、到底無理!と言いたいところだが、あきらめるわけにはいかない。 小野は素早く回答案をまとめた後、認識合わせのために昭和大学の三澤先生に転送した。
小野が申請業務の主担当を引き継いでからもう数か月ほどになる。 新製品EndoBRAIN-Xの申請書はすでに提出しており、現在はその書類の審査をしている厚労省の担当からの質問に追われる日々だ。 どんな細かい質問であっても、スピーディに根拠のある回答をしなければならないし、審議の日も近づいていた。
また、「チャレンジ権」を獲得したEndoBRAIN-EYEの「チャレンジ申請」の準備もしなくてはいけない。この2つを同時にこなしていたら、1日があっという間に終わってしまう。ここ数か月、他とはまったく違う時間が流れているかのような忙しさだ。
「お、三澤先生からOKの返信。相変わらず早いのは、本当に助かる!」
三澤先生は、勤務中であろうと休日であろうと、メールを見逃すことも返信が滞ることも決してなかった。 一体、どういうスケジュールで生きているのだろう?
小野は、尊敬の気持ちを込めて三澤先生にお礼のメールを送り、すぐに厚労省への回答も送付した。
短期での回答を求められるとはいえ、厚労省側の担当者の対応も、非常に丁寧だった。 前例の少ないAI医療機器について初めて学び、その有効性を立証するという前代未聞の難事業に挑んでいるのは、厚労省側も同じである。細かい質問が多いのも、慎重かつ真剣に、この製品について考え、間違いのないように取り組んでくれている証拠だろう。そう考えると彼らもまた、このプロジェクトの一員と呼べる存在のように思えてくる。
元高校球児の小野は、チームプレーというものの重要性を体に染みつくように理解していた。一応それなりの強豪校で、エースピッチャーではあった。が、本当に大きなことを成し遂げようと思ったら、自分一人だけで実現することはできない。コツコツと準備を重ね、仲間たちを信頼して自分のベストを尽くし、辛抱づよくアウトを積み重ねていく道のりは、野球も仕事も似通っている。
社内外の多くの人たちに支えられていることに感謝しつつ、小野は最終審議用のプレゼン準備を進めた。
EndoBRAIN-X、最終審議
最終審議のプレゼンは、「EndoBRAIN-Xが、いかに加算に値し、いくら分の価値を持つか」を審議官に直接訴えられる最後の機会だ。
時間はわずか7分、発表者は河貝である。
プレゼンが非常に得意というわけではない。 人前に立つのも、そもそも好きではない。
「学生の頃、海外で学会発表したとき以来の緊張感だな・・・」 河貝は自分を奮い立たせ、自宅で一人コツコツと練習を繰り返した。
内容は、小野とともに徹底的に精査している。あとは、それを完璧にアウトプットするだけだ。
そして迎えた本番の日。
河貝は、言葉を噛むことも言いよどむこともなく、何一つ言い忘れることもなく、ぴったり7分間でプレゼンを終えた。
やれることは、やった。 誰もがそう思った。
審議の結果は、プレゼン終了後のその日中に、厚労省からWeb会議で通達された。
一仕事を終え、緊張の面持ちで結果を待つチームに告知されたのは、「診療報酬加算とするには、臨床的な有効性が客観的に示されていない 」という厚労省の見解であった。

否決。
Web会議中の画面に映った河貝は俯くばかりだった。
翌日、出社したチームは早々に会合を開いた。
「EndoBRAIN-Xは加算が取れませんでしたが、僕はEndoBRAIN-EYEの審査は逆に有利になったと思いますよ。」
自信たっぷりに発言した小野の顔を、メンバーたちは無言で見つめる。
「EndoBRAIN-Xの申請や審査の過程で、加算をクリアできる条件や製品の有効性の説明の仕方が分かってきたんです。EndoBRAIN-EYEを使えば、腫瘍性病変の発見率が21.6%から31.2%にも上がることも三澤先生の論文で示されています。」
「確かに、専門医でも発見率が向上することがわかってるし、臨床的な有効性で見ると期待できるのかもね。」
小野の言葉を受け止めたのは河貝だった。
「それが分かっただけでも、2製品の加算申請に同時に挑戦した意味があった気がしてきたよ。ありがとう。」
前を向き始めた河貝の姿を見て、メンバーたちの表情にも光がさした。
「そうと決まったら、EndoBRAIN-EYEの申請準備を急ごう!最初の関門である、来月の保材専(保険医療材料等専門組織)審議に絶対間に合わせるんだ!」
「急ぐ理由は他にもあるしね。」久保田が静かに続けた。
「小野くんが来月からお子さんの育休に入るので、ここからはみんなでカバーしていこう!」
小野は、少し申し訳なさそうに、しかし力強く答えた。
「それまでに、完璧な申請書を作り上げておきます!」
「いやー最近おめでたいことが多いですね、診療報酬加算も取れる気がしてきました! 技術メンバーはもう、加算されることを前提に、開発をどんどん進めてますから!」開発担当の芳賀からは、そんな声も上がった。
おめでたと言えば、無事出産を終えた花井から、激励のメッセージが届いた。
「Xは残念でしたが、否決理由を見るかぎり、EYEのほうはきっといけると思っています!」
もう、誰も落ち込んではいない。前を向いて、進むのみだ。
EndoBRAIN-EYEの加算申請に利用したのは、すでに上市済みの製品に適用可能な「チャレンジ申請」という制度だ。一度確定している保険適用区分、つまり診療報酬の金額を、上市後の性能評価実績を踏まえて再評価してもらえる新しい仕組みである。
花井の努力のおかげで、事前の審議は突破できていた。残るは臨床的有効性の審議である。
小野が申請書類を完成させ、無事提出した後からも、厚労省からの質問は相変わらず続いていた。
小野が育児休業に入った1か月間は、河貝が中心となって辛抱づよく対応し続けた。本来、河貝は薬事担当でもあるのだが、新しく薬事担当になった越山が、評判通りのシゴデキぶりを発揮し、必要業務をこなせるようになっていたのは実に頼もしいことだった。
「河貝さんが申請業務に集中できるよう、私がメインで薬事を担当しますので!」
越山の瞳は、相変わらずいつもキラキラと輝いており、医療ソフトウェア開発部に欠かせない存在となっていた。
誰かが抜けても、仲間が形を変えて空いたスペースに収まり、必要な仕事を順番にこなしていく。互いに補い合える柔軟な組織……河貝が描いていた理想の組織が今できつつある。
この正念場を越えれば、この組織はさらに強くなるに違いない 。
河貝はそう自分を奮い立たせた。
EndoBRAIN-EYE、最後の決戦
【2023年10月】
いよいよ、EndoBRAIN-EYEの審議のためのプレゼン発表が行われた。
発表を担当したのは、育児休業から復帰した小野。申請業務の主担当というだけでなく、元高校球児という大舞台に強い度胸の持ち主であり、これ以上の適任者はいない。
EndoBRAIN-EYEの臨床性能評価の結果は、事前審議ですでに認められている。厚労省側がどんなにAI医療機器に慎重だとしても、否定できる要素はほとんどないほどの情報を提出できていた。
そんな自信を堂々とぶつけた渾身のプレゼン終了後、厚労省からWeb会議で内示が行われた。次の「医療技術評価分科会」での審議に、駒を進められるとのこと。審議通過である。
やった!EndoBRAIN-Xのときに果たせなかったステージに、今回は上がることができた!次の審議結果が通れば、ほぼいけるのではないか?
【2024年1月】
医療技術評価分科会開催。具体的な審議結果が出るはずの日。チーム全員が、固唾をのんで結果を見守る中、審議結果が公表された。
結果は、「異論なし」。つまり、実質的な「合格」と言ってよかった。
【2024年2月14日 午前10時】
第584回中央社会保険医療協議会 総会が始まった。
2年に一度開催されるこの総会では、前月の「医療技術評価分科会」の審議内容から、診療報酬の改定・体系の見直し案が公式に発表される。この審議の様子はライブ配信されるため、小野は朝からパソコンの前に張り付いていた。
開始から1時間あまり経ったころ、診療報酬点数の改定案への異論は特に出ることなく、総会は終了した。
EndoBRAIN-EYEが、大腸内視鏡診断支援AIとしては日本で初めて、「区分C2(新機能・新技術)」となる医科診療報酬点数の改定が実質決定した瞬間だった。この年の6月からは、EndoBRAIN-EYEを使って大腸癌・ポリープ等の病変を検出し、内視鏡手術を行った医療機関には、技術料として保険点数が加算されることが内定したのだ。
「決まったってことでいいんだよな・・・?」
小野は結果をグループチャットに投げる。三澤先生にも、急いで報告のメールを送る。
ようやく、待ち望んだ結果が現実のものとなった。
だが、喜びの声を上げるメンバーはいなかった。あまりにも大きな現実を前にすると、人は案外冷静になってしまうのかもしれない。
久保田はふと、昨年、海外の販売パートナーたちに「日本で診療報酬加算を目指しているんだ」と話したときのことを思い出した。彼らから返ってきた言葉は、半ばあきれたような「That’s crazy…」。今、「加算、成功したよ」と報告したら、彼らはなんと答えるだろう。
軽く笑みを浮かべながら、久保田は静かに口火を切った。
「……今年の事業運営は、計画通り “加算あり” のパターンで問題ないですね。準備していたプレスリリースは、今日出せるぞと広報担当に伝えてきます!」
皆も頷き、慌ただしくそれぞれの業務へと戻っていくのだった。
新しい始まり
【2024年4月】
サイバネットは昭和大の三澤先生や内視鏡メーカーと共に、大々的に記者発表会を行った。
記者発表会でデモンストレーションを行う三澤先生
医療系メディアを中心に多くの報道機関の記者が出席し、EndoBRAIN-EYEの成功を取り上げた記事は10本以上。
この発表から数か月で、EndoBRAINシリーズのWebサイトはアクセス数が倍増しただけでなく、純粋な商談数も前年を大幅に上回った。
診療報酬の加算の成果は、予想以上に大きかった。
「でも、これはゴールじゃなくて、始まりだよ。」久保田がよく口にする。
もっと多くの医療機関にEndoBRAINを届け、大腸がんで苦しむ人をゼロにしたい。さらには、大腸関係のみならず、あらゆる疾患で苦しむ患者さんのために、ソフトウェアの力で医療従事者の皆さんを支援していきたい。やりたいことは増える一方なのだ。
「これからも、このチームみんなで、道なき道を切り開いていこう。」
諦めない限り、可能性は絶対にある。やり方は、前を向いていれば、きっと見えてくるだろう。
【エピローグ】
開発担当の芳賀らは、EndoBRAINシリーズのユーザビリティを高める専用ハードウェアをリリース。診療報酬加算との相乗効果により、シリーズ普及の大きな後押しとなった。
当初保険申請の主担当を務めていた花井は、育児休業から復帰。彼女を訪ねた渡瀬は「おめでとう!」と声をかけ、二人は固く握手を交わした。 「ありがとうございます!これから営業職としてEndoBRAINがさらに普及していくよう頑張ります!」
同じく保険の担当を務めていた小野は、新製品開発に向けて奔走中だ。
「私たちの医療AI研究についても実用化してくれませんか?」という嬉しい問い合わせが全国の医療機関や企業から寄せられ、小野を中心に新たなSaMDの開拓が進んでいる。
医療ソフトウェア開発部の忙しさは相変わらずだ。今でも常に前を向き、次のミッション遂行のため、ともに走り続けている。

(END)
著 三浦有為子
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サイバネットシステム、AI医療機器の導入拡大を目指す 内視鏡画像診断支援ソフトが診療報酬の加算対象に - 映像情報Medical 6月号(6/1)
特集:内視鏡検査の実際「AIを搭載したプログラム医療機器「EndoBRAINシリーズ」開発のこれまでの軌跡」 - AERA(6/17)
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