2018年7月23日、ニューヨークで行われている第13回世界計算力学会議(以下WCCM)において、2022年に開催される第15回WCCM2022の開催地が横浜となることが正式に発表された。
世界から約3500人の計算工学・計算力学に関する研究者・専門家の参加が見込まれるこの国際会議の日本開催は、1994年の千葉以来、28年ぶりの快挙である。
誘致活動に尽力していた数名の有志は、次世代の計算力学、工学、科学の研究者の育成を意図した独自の企画を打ち出し、縦横無尽の活動を続けていた。
その中心人物は現在、国際計算力学連合(IACM: International Association for Computational Mechanics)の会長を務める東北大学 災害科学国際研究所 教授 寺田賢二郎氏である。
2022年春 東北大学
災害科学国際研究所
寺田研究室
WCCM横浜は、開催まで残すところ半年余り
寺田研究室の修士1年生。コスパ&タイパに重きを置き、要領よく単位を取りたい、イマドキの学生。22歳。
寺田教授の助手。30歳。
※上記2名は、実在の登場人物とは一切関係がありません。
サトウ君は知らないかもしれないけど、日本の計算力学は世界から見て長らく孤立していたんだ。
こういう大きな学会が日本で開かれるまでになったのは、我らが寺田先生たちの力が大きいんだよ。
事実、日本の計算力学の黎明期(80年代前半ごろ)の研究者はその発展に大きな役割を果たし、国際交流も盛んだった。だが90年代に入ると、国際交流よりも日本独自の理論構築が進むようになり、世界的には、その研究成果が伝わりづらい状態が長く続いていたという。
寺田先生は、ミシガン大の菊池昇先生の下で研究された後、日本に戻ってきて危機感を感じたって聞いているよ。それで帰国してから、日本の計算力学を世界基準に合わせようと、かなり努力されたらしい。
学生たちを和書から遠ざけて洋書で学習させるのも、海外から研究者を招いたりしているのも、寺田先生が始めたことだ。
この前ドイツから来日された方とは、僕もワークシショップで普通に意見交換をしましたよ。そんなにレアだとは思わなかったな。
計算力学の分野では、国際的な会議に出席して講演を行ったり、海外の一流の研究者を招いたり、あと海外の学術ジャーナルへの英語論文を発表したりする日本人なんて、90年代にはほんの一握りだったんだから。
僕の体感だけど、日本語で論文を書くのと比べて10倍以上の時間がかかる。
そうだね。もちろん、寺田先生お一人じゃないよ。一緒に活動してくれた同世代の皆さんもいたし、ベテラン教授たちのサポートだって大きかったはずだ。
そうして、「日本のプレゼンスを高めよう」が、計算工学に関わる人たちの共通の思いになっていったんだ。
サトウ君、そんな思いで、寺田先生や有志の方たちが努力を重ねた結果が、WCCMの横浜招致なんだよ。主催は持ち回りじゃないって分かってくれたかな?
ナカムラは立ち上がり、2人分のインスタントコーヒーを淹れて戻ってきた。これは長くなるな、とサトウは思ったが、そのまま受け取った。
マグカップから立ち昇る湯気で眼鏡を曇らせながら、ナカムラは続けた。
新型コロナで緊急事態宣言が出ていた頃は、WCCM横浜は中止になるんじゃないかと誰もが思っていたからね……
WCCM横浜大会のビジョンは「Pursuing the Infinite Potential of Computational Mechanics」(計算力学の無限の可能性の追求)。
日本独自の企画として、次世代の計算力学、工学、科学の研究者の育成を意図した中高生向けのイベントの開催を予定するなど、事務局長の寺田氏をはじめとした組織委員会・執行部のメンバーは、縦横無尽の活動を続けていた。
だが、2019年末、コロナウィルスの流行が世界を直撃。横浜大会も開催を危ぶまれる。
対面では無理でもバーチャルでの開催なら可能なのではないか?だが海外では対面での講演会開催が始まっているなかで、我が国は少々厳しめの水際対策をとっているため、国際会議の開催は難しい状況続き、そのことを海外の方々に理解して頂くには周到な根回しが必要だった。
海外、主に主催側のICAM(国際計算力学連合)と国内からの意見の集約には膨大な時間がかかる。
感染拡大状況が刻々と変わる中、計画は二転三転どころか四転五転していった。
それでも、日本の執行部メンバーは、昼夜問わず関係者とオンライン会議やメールのやりとりを重ね、開催の道筋を模索し続けた。
……時差もあるからね。
あの頃、先生は早朝から深夜まで電話会議続きで……。
先生がお忙しいのはいつものことだったけど、さすがにいつ寝てるんだろうかと心配したよ。
WCCMがいくら最大級の国際会議だからって、寺田先生ほどの世界第一線の研究者が、運営のために無償でこれだけ働いてるって、おかしくないですか?
この仕事はIACM(国際計算力学協会)の議長や会長と綿密にやりとりしなければ成り立たない。世界的に信頼された研究者でなければこなせない仕事だよ。
「この種の学会活動はサービスを提供するためのボランティア活動であり、誰かが汗をかかなければ成り立たない。だからこそ、参加者がそのサービスに満足し、喜んでくれてこそ意義がある」 ってね。
ナカムラの言葉にサトウはハッとする。
さっきナカムラが話していた通り、90年代の日本の計算力学は、国際的に孤立していた。
当時の日本の研究は、高度なのに世界に伝わっていなかった。それを変えるために、寺田先生たちは、国際学会で発表を重ねたり、ジャーナルに英語論文を発表し続けてきたのだ。
研究を伝える場としてWCCMの開催に力を入れるのも、そういった活動の一環なのか?
サトウのそんな思いをくみ取ったかのように、ナカムラは穏やかな笑みを浮かべる。
どうして、寺田先生はこの活動にここまで力を入れられるんでしょう。ボランティアなのに……
それに国際会議での講演の様子といったら……
あれは楽しんでいる以外の何ものでもないよ。まさにライブ。
寺田先生は大学生の時ジャズにはまっていて、ギタリストとして演奏をしていたこともあるらしいよ。
そのせいで大学を留年してしまったくらいなんだ。
でも、さすがに研究発表がライブとは思わないんですけど……
「教育・研究は、その取り組み方や楽しみ方において、音楽などの芸術とさほど違いはない。
アーティストにとっての舞台が、戦場であると同時に何よりも楽しい場所であるのと同じで、私にとって講義や研究発表の場は、常に真剣勝負の場であると同時に晴れ舞台でもある」ってね。
先生は自分の研究が、言葉が、表現が、誰かに伝わるのを楽しんでいるんじゃないかな。
経済的にも大変な生活になるのは目に見えていたのにね。でも、伝えたい思いがあったから、先生に迷いはなかったんだろうね。
サトウの胸が鈍く痛む。大切にしたいと思った人に気持ちを伝えるチャンスがあったのに、行動できなかった過去の記憶が蘇ったのだ。もしあのとき、迷わず 「伝えること」を大事にしていたら……自分の未来も、変わっていたんだろうか?
ボランティア。そんなもの、これまでの人生で1ミリも興味を持ったことがないのに。
2022年8月。WCCM2022横浜はオンラインで開催された。コロナ禍最中におけるリスク管理の観点から、一般社団法人日本計算工学会(JSCES)が主催を引き受けた。
WCCM2022横浜当初は講演者のキャンセルが相次ぎ、一時は発表数が当初計画の2/3にまで減じたが、執行部メンバーは多様な考え方に寄り添い、地道に活動を重ねた。
開催までに寺田氏が事務局長として行った、国内外の関係者とのミーティングは200回以上。やりとりしたメールの数は18,500通にも及んだという。
そうした執行部メンバーの努力は、WCCM横浜が、アジア地域で過去最大の参加登録者数を記録するという形で実を結んだ。寺田氏もこれまでの長年にわたる功績が評価され、新たなIACM会長に就任した。
サトウが参加したボランティア活動は、オンラインのインフォメーションデスクの対応だった。
バーチャルの会場で、参加者が自身の参加すべき会議のアドレスや時間が混乱しないように案内するのが仕事だ。参加者からメールで寄せられる質問に、リアルタイムで返信していく。対応にはスピードと正確さが求められた。
そして、何しろ世界中から参加しているのだ。質問のほとんどは英語だし、時間を案内するときは、現地との時差も考慮する必要があった。サトウは、他のメンバーと交代でパソコンに張り付き、辞書とスケジュール表を睨みながら、必死でサポートにあたった。
このインフォメーションデスクを含め、日本の運営チームのしなやかで行き届いた対応には海外から感嘆の声が上がった。「次はオンラインではなくリアル会場で、再び日本でWCCMを行ってほしい」という、海外の参加者の声を聞き、サトウは初めての経験に高揚していた。
伝える場があることで、これまで会ったこともない人と人がつながった。
そして伝える場で共有されるのは、「研究」だけではなく「思い」であることを強く感じた。
2023年夏 東北大学
災害科学国際研究所
寺田研究室
WCCM横浜から数ヶ月後
サトウは寺田氏と向き合っていた。初めて提出した英語論文の講評を受けるのである。
手元に返された論文は……真っ赤だった。
子どもの頃から自他ともに認める優等生だったサトウは、軽くショックを受ける。これほどまでに直しの入ったものを受け取るのは、作文でも答案でもはじめてだった。
でも、論文の構成も、英語表現もめちゃくちゃ。あのね、まず君に足りないのは、
寺田氏は赤ペンを取り出し、さらに追記し始めた。
寺田氏の厳しい指摘が続く。だが、その厳しさとは裏腹に、目の奥には穏やかな微笑みを湛えているように感じられた。
サトウは、自分の心に何かが伝わってくるのを感じていた。厳しい言葉を浴びながらも、自分は新しい一歩を踏み出している、という実感があった。
青々とした初夏の風が、窓から研究室の中を吹き抜けていった。
(END)
著 三浦有為子
イラスト 伊東亜衣
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