【前編のあらすじ】
廃部寸前のサイバネットソフトウェア開発部が、昭和大学・工藤教授のチームからAIを用いた内視鏡画像診断支援ソフトウェア「EndoBRAIN®」開発を受託。AI研究の第一人者である名古屋大学・森教授チームの支援も受けてなんとか完成させ、AMED(日本医療研究開発機構)の公募に合格して研究資金を得る。そして医療機器として販売するための認可※申請(薬事申請)に挑むことに。が、その矢先、たったひとりの薬事担当者である幸谷が、人事異動で部を離れることとなった……。> 前編を読む
【第三話】
穏やかな晴天に恵まれた2018年の元旦であったが、河貝の心は晴れなかった。
これから、「AIを用いた内視鏡画像診断ソフトウェア」の薬事申請という前代未聞の戦いに、専任の担当者なしで挑まねばならない。
「さて、何から始めればいいのだろう」
休暇中くらい現実を忘れようとつけたテレビでは、『ミッション:インポッシブル』が放映されていた。
スパイ組織のエースが率いるチームが「不可能作戦」を間一髪でクリアしていく様は爽快で、もやもやしていた気持ちが晴れてくるのを感じた。
不可能と思えるミッションは誰にもある。そして解決する術は、自分たちにしか見いだせない。
今、自分たちの『ミッション:インポッシブル』に必要なものとは?
それから数日後の、仕事はじめの日。
出社した河貝は上司の前で宣言した。
「本年度の部の目標は……“チーム”を作る事です。」
「チーム?」
「はい。EndoBRAINの薬事申請という難題に挑むには、今の人員だけでは足りません。このミッションにはチームが必要なんです。」
上司が静かな口調で尋ねる。
「では、逆に聞きますが、チームがあれば、必ずミッションをクリアできますか?」
自分の宣言が簡単ではない事は分かっている。これまで、販売直前まで漕ぎつけたのに、製品化できなかった数々の研究開発を思い出す。だが……。
「・・・・・・できます。」
一瞬のためらいの後、河貝ははっきりと答えた。
無責任な安請け合いではなく、これは確信だ。
ミッションクリアには、新しいチームが絶対に必要なのだ!
親会社から須貝リーダーがチームに出向してきたのは、その翌月だった。彼には数々の商用ソフトウェアの販促経験があったが、医療やAIに関しては門外漢と言える。
「こんなニッチな製品のことでも分かってくれるだろうか」
周囲には一抹の不安もあったが、その不安を吹き飛ばすように、須貝はこの分野の専門知識や業界の常識について猛勉強を始めた。そして薬事コンサルタントを雇用してタスクを整理し、増える一方の膨大な仕事量に驚きながらも、ひるまず学び続け、ミッションを進めた。
また須貝は、リーダーとしてフロントに立つ役回りを進んで引き受けた。問題が起きれば自分が先頭に立って謝罪に赴き、問題解決の方法を探った。また多数の協力病院から性能臨床用試験データを提供してもらう際の窓口も担当した。
そんな彼の姿に、部のメンバーが絶対的な信頼を置くようになるのに時間はかからなかった。同時に、大学や病院の先生方との信頼関係も深まっていった。
強力なリーダーに恵まれ、開発のメンバーは安心して仕事に没頭できる環境を得た。だが、薬事担当者幸谷の後任は見つからない。
脇坂、芳賀、華原といった技術担当が分担して薬事関連業務を進めることになったが、想像をはるかに超える業務量に圧倒される。
医療機器として承認を得るためには、詳細な製品の設計開発記録の提出が必要だ。加えて、製品の高い安全性と品質を担保するための活動を、継続的に実施できる体制があることを証明しなければならない。これは日々発生する膨大な量の品質管理作業が必要となる。さらに、関連する規制や規格をモニタリングし、企画、設計、製造、販売、保守などあらゆる工程の手順書を作成することや、それらのアップデートも欠かせない。
大企業であれば、20~30人体制のチームで行なう薬事業務を、弱小部とはいえ、幸谷はたった一人で担当していた。
「これほど大変な思いを彼女にさせていながら、自分たちの仕事に精いっぱいで気づいていなかった」
開発部のメンバーは申し訳ない気持ちになると同時に、いつでも笑顔を絶やさずムードメーカであり続けてくれた幸谷に改めて感謝した。
そして、「今後は自分たち技術者も薬事を理解していかないと。次の薬事担当者が来てくれた時には、必ずチーム全体でその人を支えていこう」と決意するのだった。
「AIを用いた医療用ソフトウェア」で今まで薬事承認されたものはまだ日本には無い。厚生労働省の対応は、非常に慎重なものとなった。
ここで、薬事申請の審査や承認を行う独立行政法人 医療品医療機器総合機構(PMDA)より、「承認には“治験”が必要」という通達が来た。
治験とは、薬や医療機器を実際に動物や人に使用し、有効性や安全性を確認する臨床での評価である。
治験を実施するためには、協力医療機関や医師の選定、治験計画書の作成、評価委員会の立ち上げなど、大規模な取り組みが必要であり、これらにかかる費用や時間は、全く予測がつかない。
河貝の脳裏を、あと少しのところで製品化を諦めなければならなかった過去の記憶がよぎった。
こんなに多くの人たちを巻き込んで、ここまできたのに、EndoBRAINも諦めるしかないのか……。
そんな時だった。
「EndoBRAINの販売準備、始めてますからね」
明るい声でメンバーに呼び掛けたのは、兼任で営業を担当していた久保田だった。
「販売!?薬事承認の目途も立っていないのに?」
「はい。だって、承認されるって信じてますから」
久保田が進めていたのは、各販売代理店との契約書作成、経理部門などと行う社内の販売体制の確立、アフターサポートの役割分担など……とても片手間にできるような準備ではなかった。
「それに承認が通ってから動いても遅いでしょう?
のんびりしていたら、他社に先を越されてしまうかもしれない。実現されると見越して、販売体制を構築していくのが営業担当ですから」
その言葉に河貝ははっとした。
年初、上司に「チームがあれば、必ずクリアできるのか?」と聞かれた時、自分は「できます」と言った。その時、自分もまた久保田と同じく、実現を信じて動いていたはずではなかったか?
だからこそ、須貝リーダーや久保田を含む素晴らしいチームができたのではなかったか?
ここで諦めるわけにはいかない。
「もうちょっと頑張ってみよう。本当にあと少しなんだ。
もし自分たちが諦めてしまったら、今後、日本で同じようなAIを使用した製品の開発を諦める企業も出てくるだろうし、結果、他国に開発を追い抜かれてしまうかもしれない。これは、日本のAI医療すべてに関わる問題なんだ。」
その言葉に、他の開発部メンバーも同じ思いで力強く頷いた。
先駆者としての責任と意地がチームの中に生まれていた。
昭和大学チーム、名古屋大学、サイバネットソフトウェア開発部が考え出したアイデアは、画像だけで臨床実験を行うというもので、いわゆる「後ろ向き試験※」と呼ばれる手法だった。
昭和大学チームを中心としたメンバーは、PMDAを説得するため、粘り強く相談を継続した。これまで利用した膨大なデータを裏付けとして利用し、画像だけの臨床実験でEndoBRAINの性能や安全性が担保できることを証明するレポートを作成し、交渉の場に臨んだ。
そして2018年12月、遂にEndoBRAINは「AIを活用した内視鏡画像診断ソフトウェア」として、日本で初めて医薬品医療機器等法にもとづく承認取得に成功した。このことは、日本の医療シーンにおける大きな第一歩として、経済紙などでも大きく報道された。
PDMAへの相談開始から、およそ一年間にわたる道のりであった。
決して簡単な道のりではなかった。しかし過ぎてみれば、これほど早く承認を得られたことは驚きであった。
「まるで……奇跡ですね」
ふと、芳賀がそう口にした。
「奇跡?」
始まりは、廃部寸前だったサイバネットソフトウェア開発部メンバーに、昭和大学チームからかかってきた一本の電話だった。
その後、名古屋大学・森教授の協力を得られたこと。
AMEDの公募に合格したこと。
画像だけの臨床試験で薬事の承認を得られたこと。
そして何よりも、このチームができたこと。
一つ一つは偶然ではなく、努力の積み重ねで得られたものだが、全てのカードがこのタイミングで揃ったことは、奇跡と言えるのかもしれない。
河貝が『ミッション:インポッシブル』を見てから一年。あのとき「不可能」と感じたミッションは達成された。
今やサイバネットソフトウェア開発部は弱小ではない。別部署に異動していた技術メンバーが戻ってきた。他部署と兼任だった営業担当の久保田は、2020年2月から部の専任となった。
そして、EndoBRAINの成果を重く見た会社が、薬事専任の担当者が必須であると判断した。EndoBRAINには後続製品があり、海外での販売を目指すことが決まったのだ。
任命された薬事担当者は幸谷だった。かねてから海外での薬事申請に大きな興味と情熱を持っていた幸谷本人にとって、願ってもない辞令であった。
「ただいま、戻りました」
「……お帰りなさい」
お互いに多くは語り合わなくても通じ合うものがあった。
2022年4月、米国の専門誌にEndoBRAINに関する論文が掲載された。その論文では、本邦発の大腸内視鏡AI医療機器の精度が、世界初の国際共同研究により実証されたことが報告されていた。
がんの初期段階で切除すべき腫瘍が発見されやすくなり、ひいては大腸がんで亡くなる人を減らしたい・・・EndoBRAIN開発のきっかけとなった工藤教授の願いは確実に前進している。そのことが証明された研究成果だった。
ミッションはこれからも続いていく。
EndoBRAINを世界に広げ、大腸がん診察のスタンダードとしたい。
そうして救われる命を増やし、希望を広げたい。
次の奇跡を起こすため、彼らは今この瞬間も全力疾走で活動を続けている。
(END)
著 三浦有為子
イラスト 樋口徹
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