今から遡る2014年のある日、東京都内の講演会場は、国内各地から集まった聴衆で埋め尽くされていた。基調講演の壇上に立つのは「赤池 茂」、デンソーの技術開発センターで室長を務めるCAE(Computer Aided Engineering)技術分野のスペシャリストである。
CAEの講演に、これほど大勢の技術者が集まる時代になったとは……。会場の多くは若手エンジニアだろうか? 逐次メモを取りながら、自分の話に熱心に耳を傾ける人々を前にして、彼もまた熱いものがこみあげてくる。
『今の時代、若いエンジニアは厳しい環境の中で本当に頑張っている。
こうした熱心な若者たちがいる限り、まだまだ日本はやれるはずだ。』
そしてふと、がむしゃらに働く若きエンジニアだった頃の自分を思い出した。
ただ一途に、前だけを向いて頑張っていた30年前を……。
時代はバブル景気が明けた1992年。
彼が自動車部品メーカー大手のデンソーに入社して数年の月日がたっていた。30代だった当時は、山のような仕事に日々追われていたが、大学院の頃から専門で学んでいた流体力学の研究も続けていた。
中でも尽力していたのは「自動車エアコン用軸流送風機(ファン)の騒音を低減する」研究だ。
自動車エアコン用軸流送風機(ファン)とは、羽根を回転させて風を起こし、ラジエータ・エアコン用コンデンサなどの熱交換機を冷却させるための部品である。その部品から出る騒音が問題となっていた。最大で75デシベル。渋谷スクランブル交差点と同レベルの騒音である。現代では想像しづらい事だが、30年前はこれが当たり前で、避けられないと考えられていた。当時の実験技術では、回転するファン周りの流れを計測し、改良していくためのデータを得ることが極めて困難であったためだ。
そこで、CAEを使用した流体シミュレーションに注目が集まりだした。しかしながら、どの研究者も思うような結果が出せずにいた。
ちなみにCAEとはコンピューターによる工学支援システムで、試作や実験のかわりにシミュレーションで性能評価を行う技術だ。CAEを使えば時間やコストを削減でき、現実には不可能な実験的考察・検証も自由に行えるという利点がある。この素晴らしいシステムが、ようやく普及し始めた時代でもあった。
彼も、CAEを活用することで、ファンの騒音問題を解決したいと考える先進的なエンジニアの一人だった。当時の役職は係長クラスで予算を動かせる立場ではなかったため、研究・開発を続けるには常に上司を説得する必要があった。「ファンの騒音は低減することはできない。やっても無駄だ。暫く冷却期間を置くのも大切だ」と助言されることすらあり、研究を継続するための予算獲得は容易ではなかった。ファンの研究は、既にやり尽くされていると考える人も多かったのだ。
研究開発の現場では、まず過去を踏襲し、同じような事を根気よく重ねていくのがセオリーだ。膨大な時間、労力、コスト。だが、コツコツと積み重ねた先にしか答えは出てこない。彼もまた、その事を確信していた。
『ファンの騒音を低減したい。この道は正しいはず。いつか実現してみせる……』
しかし現実は厳しい。日々の仕事に追われる中、研究にさける時間も限られており、成果に結びつかない悶々とした日々を何年も過ごした。それでも日課として、毎朝一時間ほど早く出社し、研究論文を読む習慣だけは欠かさず続けていた。
ある日のことだった。名古屋大学大学院のドクターコース(博士課程)へ、会社の支援を受けながら進学する制度がスタートした。技術開発の促進のため、博士号取得者を増やそうという会社の意向であった。ドクターの肩書があれば、研究の世界での立場や発言力が変わることは経験から知っている。彼をはじめとした研究者なら、何としても手に入れたいチャンスだ。
残念な事に、彼は最初の制度適用者には選ばれなかった。自分であればいいのに……。そう強く願いはした。だが、他言する事はなかった。しかし次の選考のとき、思いがけず彼が制度適用者に選ばれた。
また思う存分に研究し、学べる! 彼の胸は期待で膨らんだ。
企業に所属しながら大学院に通う場合、【論文ドクターコース】を選択するのが一般的である。その名の通り、論文で評価されるので、直接大学に通う頻度が下がる。従って、仕事との両立もしやすいし、終了までの年数も猶予を持ってもらえるため、会社の繁忙期などは休むこともできる。だが、彼はあえて【コースドクター】を選んだ。普通にマスターから進学した学生と同じように大学で授業を受けなければならないし、修業年限も3年以内と限定されている。当然の事ながら、かなり厳しい道であり、卒業できる保証はない。
だが彼は、大学院に通う事で得られる最大の利益は【人脈】と考えていた。【論文ドクターコース】なら、ほとんど通学せずに卒業する事が可能だろうが、実際に通学して専門の教授たち、学生たちと深く付き合う事は、必ず将来、自分の糧となるはずだ。
彼は決意した。「私は2年でドクターコースを終了してみせる。」
このようなチャンスを手に入れた自分を、鼓舞するためでもあった。
想像を絶する多忙な日々だった。
月曜から水曜は会社の仕事。そして木曜から土曜は大学へ。日曜日はゼミの準備。休みが全くない生活。だが、彼は苦しいとは一切思わなかった。自分のやりたい研究が思う存分にできる。これほど幸せな事があるだろうか?
しかし、既に家庭を持っていた事もあり、幼子二人を抱えた妻には苦労をかけてしまった。不平ひとつ言わず、自分を支えてくれた家族への感謝の念を、彼は忘れた事がない。自分だけでなく、仲間のために、そして家族のためにと思いながら、彼は研究に取り組み続けた。
騒音が小さいファンを絶対に実現してみせる。
それが自分を支えてくれる人たちへの一番の恩返しだと考えていた。
研究を重ねるうちに、「シュラウド」と呼ばれる、ファンとラジエーターを覆うカバーの形状が騒音発生に大きく影響しているのでは、という仮説が生まれた。そこで彼は手作りの実験装置とパソコンを使い、シュラウドの寸法を変えながら、あらゆるパターンを評価していった。寝ても覚めても、実験とCAEで仮説と検証を繰り返す日々が続く。まったく終わりが見えなかった。
彼が入社の際の小論文に書いた言葉がある。
『僕は前向きのまま倒れたい』
自分の信じた道を突き進み、そのままそこで倒れても構わない。
仮に、志半ばで力尽きようと、歩むべき道を作っておけば、きっと他の誰かが後を引き継いでくれるだろう。自分のこれまでの研究、そして考えは正しい。その信念が生きがいとなり、ぎりぎりの精神と肉体を支えてくれる。
結果は思わぬ形で現れた。
ある日研究室に行くと、仲間の一人が、彼が設計を依頼していた物とは異なる形状のモデルを作っていた。聞いてみれば、単純な作業ミスによる失敗作だった……。
だが、失敗作の「跳ね上がった形のカバー」を見ていると、これまでの経験からだろうか、何かピンとくるものがあった。
「せっかく作ったのだ。これで試してみようじゃないか」
実験してみると、騒音量が大幅に低下し、空気の流れも安定している。
これが我々の求めていた「答え」なのだろうか。
思いがけない結果に、そこにいる仲間たちの口からもすぐには言葉がでなかった。
喜びや興奮を感じる前に、ただ驚きの方が大きかったのだ。ずっとずっと求め続けたものが目の前に現れた時、人は案外こうなってしまうものなのかもしれない。
喜びを共有する前に欠かせないことがある。可視化実験での確認だ。
ファンの気流を見るために一筋の煙を通す。すると煙は、ごく当たり前のようにファンの回転に吸い込まれていく。なんという美しい流れだろうか。この形状が、求めていた「答え」であることは明白だった。
ここまで来て、初めて喜びと興奮が彼らを包んだ。
「やったぞ!」
この現象を確かめ、自分のものにするため、シュラウドを含むファン先端部の流れをCAEで解析した。上流から流れてきた気流は、自然に、ファンへとスムーズに吸い込まれていく事が明らかになった。
彼はこの試作品を添付した上で、研究成果を論文として発表する事となった。ほどなくして論文は最高権威であるアメリカ機械学会のジャーナルに掲載された。これは彼にとっても望外な結果であり、大変な快挙であった。ミスによる失敗作から、思いもよらず長年取り組んできた研究が実を結んだのだ。
ファンの騒音を低減することは、「いつか」できると彼は信じていた。
だが、それが「いつ」なのかは、やってみないと分からない。誰が成し遂げるかも分からないと思っていた。当時、同じような研究をしていた人たちは大勢いたはずだ。
その中で、彼の研究が最初に答えに辿り着くことができた。
それは名古屋大学大学院で研究するチャンスを与えられ、学術的なバックグラウンドがあったからに他ならない、と彼は考えている。
しかし、それだけではない。会社、家族、仲間達……運命的に出会ったすべての人の思いが、この奇跡を呼び寄せてくれたのだろう。
失敗作が一転して大成功、シュラウド越しに見えた、ファンに吸い込まれていく一筋の煙。驚きと興奮の中で見た、あの美しさは忘れられない。
彼は生来「美しいもの」が好きだ。機能美と言って良いかもしれない。
例えば、機械式腕時計のなめらかな動き。超音速旅客機のコンコルドの流れるようなボディライン。そんな無駄のない機能美を、この研究成果「騒音の小さいファン」にも感じた。
この感動は、何物にも代えがたかった。
「頑張っていれば必ず報われる」
人生の『座右の銘』が心の中に生まれた瞬間でもあった。
その後、無事にドクターを取得した後は、CAEの推進と技術開発のため、ひたすら研究・仕事に打ち込む日々が続いた。誰かに命じられたわけでなく、頼まれたのでもない。考えはストレートだ、これほど「良い」ものが会社にとって良くないわけがないと信じたからだ。
CAEを活用できるエンジニアを増やすため、人材育成や仕組みづくりのための苦労はいとわなかった。ソフトウェアやハードウェアの選定は妥協せず、たとえ全社的に導入している製品でも、会社の方向性に合わないと考えれば入替えを断行した。社内だけでなく、社会全体にCAEを普及させる活動にも積極的に参加してきた。ASEANのある国で、CAEの部隊を立ち上げるために奔走したこともある。
これらの取り組みもまた、簡単な事ではなかったが、正しいと信じた事はどこまでも貫く性分だ。「自分の求めている所までいく」ために努力を惜しまないのがポリシーである。
それに彼は一人ではない。応援してくれる会社もあり、仲間達もいる。そして自分と同じように、CAEに情熱をかける人々が、こんなにも大勢、講演にも来てくれている。信念を持って努力を続ければ、きっと思いは届くのだ。
だが、今の自分の「核」となっているのは、不眠不休だったあのコースドクターの日々ではなかろうか。「このまま頑張り通せる」「自分のやっていることは間違いじゃない」そんな自信を持つために、あの2年間は必要だったのだ、と思う。
参加者からの質疑応答も終わり、赤池氏の講演も終わりが近づいていた。
「最後に……どの講演でも、必ず伝えている事をお話しさせてください。
私の『座右の銘』です。
『頑張れば、大抵のことは実現できる
頑張ると、悦んでもらえる
頑張っていると、誰かが助けてくれる』
この事を皆さんにお伝えして、今日の講演を終わらせていただきたいと思います」
もしかしたら、きれい事に聞こえるかもしれない。
だが、これは彼のこれまでの経験に基づいた本音だ。
頑張れば報われるなんて、傲慢だ……。そうやって斜に構えているその間にも、きっとできる事がある。人生を後悔しないように、まずは頑張ってみてほしい。そう願わずにはいられないのだ。
日本のCAE普及に尽力してきた赤池氏は今、世界を見ている。そして「日本は世界を相手にもっとやれるはずだ」と信じている。
64歳。まもなく定年を迎えようとする今でも、前に向かって走り続ける。
「僕は前向きのまま倒れたい」あの頃と変わらぬ、熱い思いで。
著 三浦有為子
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人物プロフィール
赤池 茂(あかいけ・しげる)氏
1983年(株)日本電装入社、1994年 名古屋大学にて「車両用送風機の低騒音化」にて博士(工学)取得。日本のCAE技術開発の先駆者である。
(2022年本話公開当時の情報)