A君のレンズ設計物語第7回:A君、偏心収差論に驚嘆し、学に志す

博士「さて、前回行った作業は・・・繰り返し言うが“共軸状態のパラメータのみで計算した偏心収差係数が、実際に偏心した状態で生じる収差を上手く説明できる”というところまでじゃったな」

A君「今回は設計への応用ですね」

博士「粗筋は次のとおりじゃ。ある光学系の一部のレンズが偏心に関する製造誤差感度が高い状態なのじゃが、誤差感度が高い理由を偏心収差論の観点から考える。次に、偏心収差係数を小さくする方策をいくつか考え、それを実現するように最適化を行うことで実際に感度低減が図られることを確認するのじゃ」

A君「結構な作業ですよね」

博士「人は楽をすることばかり考えるが、本質を理解するためには労を惜しんではならん。子曰く"ローマは一日にしてならず"じゃ」

A君「それは孔子ではなくて」

博士「さて、今回対象とする光学系は、身近な高性能レンズの代表、顕微鏡対物レンズじゃ。

まずは、CODE Vの解析機能の一つであるTOR(波面微分法による公差解析)を使って、誤差に対するMTF性能の劣化を評価してみる。各公差には高精度が要求されると予想されるが、まずは、通常の逆感度解析にて公差解析を行う」

A君「うわ!レンズ間隔が20μm変化しただけで、MTFがゼロになるほど性能がガタ落ちじゃないですか!敏感度が高過ぎて、こんな光学系は作れないのでは?」

博士「まあ、待ちなさい。コンペンセータを指定していないのが原因ではないかな?」

A君「コンペンセータ?これはズームレンズなのですか?」

博士「顕微鏡レンズに限らず一般的なレンズの場合、高い組み立て精度が要求されるものじゃ。ただ、レンズの間隔変化など回転対称的な誤差に対しては近軸量の変化や回転対称な収差が生じるが、こういった変動はどこかのレンズ群を光軸方向に動かすことである程度補正することができる。この調整機構のことをコンペンセータとも呼ぶのじゃ」

A君「なるほど、光学系の調整を行うようにすることで個々の部品の精度を緩めることが可能ということですね。では、像面位置をコンペンセータとして設定して、もう一度計算してみます」

A君「なるほど。コンペンセータのおかげで回転対称的な誤差に対する性能劣化は、だいぶ小さくなりました(上表)。でも、偏心誤差に対する性能劣化は相変わらず大きいですね(下表)。ん?"コンペンセータの移動量"がゼロです(下表の右列)。

コンペンセータが機能していないみたいですよ、博士」

博士「偏心誤差により生じるのは非対称な偏心収差じゃからな。像面のZ方向シフトなどの回転対称なコンペンセータでは補正しようにもできないのじゃ。どこかのレンズ群を光軸と垂直方向に移動したり傾けたりの調整により誤差感度を下げるという方法もあるが、今回は、コンペンセータの力を借りずに感度を下げる方向で感度低減設計を試みる」

A君「また、そんな大言壮語を・・・」

博士「以前にA君に対してわしが言ったような科白じゃないかな。さて、敏感度の高い誤差としては色々なタイプがあるようじゃが、偏心収差係数との対応が分かり易いYシフト公差であるDSY S9..11の影響を低くすることを考えてみようか。

まずは、DSY S9..11によってどういった性能劣化が生じているのかを確認してみるが、後々、性能劣化量の比較を行うために、初期状態のレンズで誤差(Yシフト±0.02mm)に対する各画角のMTF(200本/mm)の劣化量を、TORの結果から抜粋しておこう。

この結果からは、S9..11のレンズ群が光軸と垂直方向に0.02mmシフトするとMTFが20%〜60%も低下するということは分かるが、それ以上の情報は無い。一方、この光学系のレンズシフトに対する(1次の)偏心収差係数を計算してみると、以下のようになっている。

A君「S9..11のレンズの偏心収差係数を見てみると…。Ws1の値が大きそうなのでM像面の倒れが大きいのかな?とも思いましたが、顕微鏡対物レンズということなので画角はそれほど広くないんですよね。反対に、明るい光学系だということとUsの値も割と大きいので、偏心コマが大きく出るような気もします」

博士「因みに、各レンズYシフトによる性能劣化量をTORで計算したものと偏心コマ収差係数を並べてみると次の表のようになる」

A君「むむ!MTF劣化量の大きい順番と偏心コマ収差係数の絶対値の順が見事に一致しています。性能劣化の原因は偏心コマに間違いないですね!」

博士「では、実際にレンズ群(S9..11)をシフト(シフト量は0.02mm)して収差図を描かせたものを見てみようか」

A君「最外画角は少し分かりにくいですが、殆どの画角で前回見たような偏心コマ収差が出ています!これが性能劣化の主要因なのですね」

博士「波面収差のRMS値やMTFなど定量的な数値ももちろん重要じゃが、どういった収差が出ているかといった定性的な評価ができないと、対策の施しようがない」

A君「CODE Vだめじゃん」

博士「もちろん、文明の利器であるコンピュータも使えるときは使うのが利口じゃ。たとえば、CODE VのFMAオプションを使ってゼルニケ多項式の係数の大きさを表示させて、画角ごとにどういった収差が出ているのかを視覚的に確認することができる。フリンジゼルニケ多項式の第7項、第8項はコマ収差に相当するが、その大きさと向きをプロットすると以下のようになる」

A君「画面全体で、同じ大きさ・同じ向きのコマ収差が出ている様子がわかりますね」

博士「ただ、このプロットは二つの係数の大きさと向きを"矢印"として表しているため、実際のコマの見え方と逆になっているように感じるかもしれないことに少し注意しておくように。
では問題です、それでは、何故この(S9..11)レンズ群がY偏心すると、大きな偏心コマが出るのでしょうか?」

A君「え・・・偏心コマ収差係数が大きいから?」

博士「それでは以前のA君に逆戻りじゃないか。もう一歩踏み込んで!式を思い返してみようか。S9〜S11の偏心コマ収差係数Ueの計算式で使用されるパラメータは、以下のようになっている。

これらのパラメータから計算される偏心コマ収差係数の各項の大きさを棒グラフで表示させてみたのが、以下じゃ」

の項が大きいために、Ueが大きくなっている様子が見て取れる。
では、Ueを小さくするための方策を考えてみようか」

A君「え?偏心収差係数を自動設計で制御すれば良いんですよね?」

博士「最終的にはそうなのじゃが、なんでもかんでも最適化のターゲットに採れば上手くいくわけではないことを理解するためにも、色々な条件で検討してみるのじゃ」

A君「うへぇ・・・面倒・・・」

博士「偏心コマ収差係数に関係しているパラメータは前述の通りじゃが、この中で

  • T2やU2を変えることは、偏心群の形状を変えることで実現できる
  • T3やU3を変えることは、像側群の形状を変えることで実現できる
  • αやα’を変えることは、物体側群や偏心群のパワーを変えることに相当する
のじゃが、まず始めに、(イ)や(ロ)として、パワー配置は固定したまま形状だけでUeを小さくしようと制御した結果が以下じゃ。

A君「Ueが小さくなるように最適化したので、性能劣化量が小さくなって多少は良くなっているようですけど、もっと小さくならないんですかね?」

博士「先ほどの棒グラフを見ながら考えてみると良いが、αを維持したままUeを小さくするためには、U2の符号はそのままで大きくするか、T3の符号を変えるか、U3の符号を変えるか、T2の符号を変える必要があるが、パワーを変えずに3次収差係数の”符号を変える”のは、球面レンズではなかなか大変なのじゃ(非球面を使えば容易じゃが)」

A君「それを先に言ってくださいよ。じゃあ、パワーもフリーにした方が絶対良いんじゃないですか」

博士「では次に、パワー配置もフリーにして最適化してみると、以下のようになる。

A君「うわぉ!偏心した状態(注1)での収差が改善されている様子がはっきりとわかりますね」 (注1:TORオプションでは実際に偏心した状態で計算しているわけではありません)

博士「うむ。ここまで強力とは、わしも思わなかった。因みに、SABを使った場合も試してみた」

A君「おっ、初期状態よりもかなり改善していて、偏心収差係数を使った最適化と遜色ないですね。流石は最新機能!」

博士「ただ、SABを使用した最適化の結果はSABの重みや公差値に大きく依存することが多い。実は、この結果は、SABの重みや公差値の調整に関する試行錯誤を数時間にわたって繰り返して得た設計解なのじゃ(マクロを使ったがな)」
この二つの手法を比較してみると、

  • SABは、設定(操作)は容易だが、上手く使うのが大変(SABの重みや公差値などの調整が必要)
  • 偏心収差係数は、設定(操作)は多少面倒だけど、目標にピタリと持ってこられる
ということで、まさに、
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」(SAB)と「十年一剣を磨き、一刀両断」(偏心収差係数)
といった思想の違いが感じられるじゃないかな。
SABを使用した最適化では、波面収差のRMS値を小さくしようという動作をするため、個々の○○収差を抑えるのは得意ではないのかもしれんが、偏心収差係数の場合は、上の例のように、特定の偏心収差に関する制御には強いが、材質の誤差(屈折率、分散)や、回転対称的な誤差(曲率変化、面間隔変化)に関しては、評価していない。そのため、全体的(一般的な)誤差感度低減には、SABやSN2、SNSの方が向いていると思われる」

A君「使い分けが重要ということですね」

博士「その反面、なにか特定の偏心収差を強力に制御したいという目的がある場合には、偏心収差係数の最適化を利用すると面白い設計も出来る」

A君「どういうことですか?」

博士「たとえば、1次のプリズム作用は残して(むしろ大きくして)、他の偏心収差係数を補正(小さく)すれば、どうなるかな?」

A君「レンズがシフトすると、像全体がシフトするけど画質劣化が生じない光学系ができるんですかね?」

博士「カメラの振動に合わせてレンズをシフトできれば?」

A君「手振れ補正光学系ですか!」

博士「その通り。手振れ補正の場合は偏心収差論の適用方法も若干変わってくるが、基本的には偏心収差論の応用で設計可能じゃ」

A君「製造時の性能劣化の要因を探ったり、誤差感度を抑えた設計に役立てたり、防振レンズの設計にも応用が利く、すごいですね」

博士「”ブラックボックス的なコンストレインツを使用した最適化”ではなく、レンズ系の本質(収差の原理)を評価しているから様々なことに応用できるということじゃろうな。
自分の設計したレンズの特性を把握するために偏心収差係数を予め計算しておいて、実際に組み立てたときに“偏心コマが出ています!”とか言われても、即座に“第2群のシフトが原因です”とか言えると格好良いじゃろ」

A君「これからも色々と学びながら設計技術を磨きたいと思います」

博士「うむ。近年のシミュレーション技術の発達で、なんでもかんでもシミュレーションや最適化が行えるようになったが、道具が進歩したおかげで人間自身の能力が退化してしまっては困るぞ」


『A君のレンズ設計物語』は今回で終了しますが、この連載で紹介した設計法の詳細な内容をお知りになりたい方は、レンズ設計セミナ(原理編)レンズ設計セミナ(偏心収差論編)へご参加ください。


今回の話で使用した、CODE V用のレンズデータやコマンド操作などは、ダウンロードできます。
※偏心収差係数の計算に関わるマクロ類は含まれておりませんが、レンズ設計セミナ(偏心収差論編)にご参加の方にお配りしています。

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