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特集

「下町ボブスレー」 〜大田区 町工場の挑戦〜

株式会社エース
代表取締役
西村 修 氏

大田区の町工場で、ボブスレー競技のそりを作ろう

「下町ボブスレー」のプロジェクトは、日本のボブスレーの女子チームのためにボブスレーのそりを、大田区の町工場で作ろうということで始まったものです。2011年12月から活動しています。

ご存知のように、大田区は我が国では町工場の街として有名です。しかし、実は、日本だけでなく、世界でも有数の産業集積地なのです。特に金属加工技術の集積は著しく、ここまで多種多様な金属加工のノウハウを持つ工場が狭い地域に密集している例は、世界中見回してもほとんどありません。

こうした大田区の町工場群の底力を何とかアピールしたいということは、以前から、私たち町工場の人間も、また大田区の方針としても考えられていたのですが、ある日、大田区の産業振興協会のスタッフである小杉さんという方が、「マテリアル」という大田区の町工場に、A4 2枚に書いた企画書とボブスレーのそりの国際ルールであるレギュレーションの図を持って来たのです。「これ、作れますか。作りませんか」。

そこから全てが始まりました。「マテリアル」社の社長さんは細貝淳一さんという方ですが、この細貝さんが中心となり推進委員会が作られ、小杉さんを事務局長として、「下町ボブスレー」のプロジェクトが動き始めました。

大田区の町工場なら、素晴らしいボブスレー用そりが作れる

なぜ、ボブスレーだったかと言うと、日本の女子チーム(2人乗り)が外国チームのお下がりのそりを使っていたからです。小杉さんはネットのニュースでそのことを知り、大田区の町工場の力で、日本製のそりを日本の女子チームのために作れないものか、と考えたのでした。大田区にはボブスレー製作に必要な基盤技術である加工や溶接、板金、また部品の組み合わせ技術などが高度に集積されています。私たちも、大田区の力をアピールする良いチャンスになると思いました。

ボブスレーはヨーロッパでは盛んですが、日本ではまだまだマイナー競技です。遠征費は、そりの運搬費も必要なため高額になりがちですし、練習に行くにももちろんお金がかかります。選手の皆さんはアマチュアで自分の仕事をしながら、一生懸命企業を回って寄付を募る等頑張っていましたが、そりにまでお金が回らないというのが実情だったようです。プロジェクトが始まってから、一度、女子チームの、その外国チームのお下がりというそりを見せてもらったのですが、傷だらけで、傷のひどい部分は自分たちでガムテープを貼って補修し、そんなボロボロのそりを大切に使っていました。

傷だらけ、という以上の問題は、何よりボブスレーは乗り込む選手の体型に合っていることが必要で、それがタイムに影響します。日本人選手が、そもそも外国人の体型に合わせて作られている外国製のそりに乗ることは、競技上、大変なハンディとなるのです。こうした諸事情を知るにつけ、是非、そりを作ってあげたいという気持ちが大きくなり、プロジェクトに一層力が入るようになりました。

ボブスレーは非常にスピードが出、また、そりの性能がタイムに大きく影響することから「氷上のF1」と呼ばれています。実際、海外チームのそりは、イタリアチームはフェラーリ、イギリスチームですとマクラーレンが作ったり、ドイツチームにはBMW、アメリカチームにはNASAがそれぞれ技術協力したりしています。しかし、私たち大田区の町工場の力を結集して作るならば、フェラーリにもBMWにも負けない。外国チームと同等品か、それ以上のものが作れるはずだ、という自信はありました。

約200点の部品を2週間で完成

プロジェクトが始まってすぐ、みなボブスレーのことをほとんど知らないし、ボブスレー用のそりを見たことも無かったので、仙台に一台あると聞いて、まずはそりの見学に行きました。結局、そのそりを構造解析したものを図面に起こしたのです。また、オリンピック委員会の定めたそりのレギュレーションがありますので、それを直接FIBT(国際ボブスレーボガニング連盟)から取り寄せ、一文一文みんなで翻訳していきました。

この初代のそり(1号機)には、部品製作やサポート(ポスター印刷やTシャツなど、PRグッズの製作)に大田区の町工場40社くらいが参加してくれました。全てボランティアです。そりの設計は、東レカーボンマジックさんの協力を受けました。東レさんになる前は童夢カーボンマジックさんで童夢さんの子会社でしたから、本物のF1を作っていた会社ですが、勿論ボブスレー製作は初めて。さすがに手探りだったろうと思います。構造解析についてはソフトウェアクレイドルさんの協力も仰ぎました。しかし、この初代のそりは、実は私たちは押しかけ女房でして、日本のボブスレーの連盟にも全く断らず、女子チームのために作り始めたんですよ。

2012年の秋に図面が完成しました。リーダーの細貝さんが、全部品は2週間で作り、それから組み立てだ、と指令を出しました。部品図面150枚、部品点数は約200点です。これだけの部品を2週間で作れるのかと思われるかもしれませんが、私たち大田区の町工場は、高精度加工を短納期で間に合わせることで、今に続く厳しい時期を生き残ってきたので、そんなことはお手の物なんです。また、私たちが普段作るものは構造部品が多く、目立たないところに使われています。ですので、家庭で子どもから、お父さんは一体何を作っているの? と聞かれてもなかなかうまく答えられないんですよ。それが今回は、ボブスレー日本代表のそりということで、目に見える大きなものを作るわけですし、「勝つ」というテーマもありますから、みんな大喜び作ってくれました。最終的に、この1号機は約1800万円でできました。大田区製作分は全て無償ですから、本当はこんな額ではできません。

初滑走でコースレコードの快挙。更に2号機の製作へ

2012年の12月、長野五輪のときに作られたボブスレーコース(長野市スパイラルコース:全長1700m)で試験滑走が始まりました。因みに、このボブスレーコースは、アジアでは唯一のものです。

このとき、56.250のタイムを出し、これは何と女子チームのベストタイムでした。私たちもメンテナンスなどのためにコースに詰めていたのですが、初滑走で女子チームが自己ベストをマークしたことで大変自信がつきました。また、選手からのフィードバックを聞き、そりの簡単な調整や改良もその場で試みました。こういうところが製作者が近くにいるメリットだと思います。しかし、私たちは部品を作るのはプロなのですが、そりの滑走といったことには、全くの素人ですので、最初の頃は、選手から「もう少しこうなるようにしてほしい」といった要望が出ても、どこを直せばいいのかが、まずわかりません。全くの手探り状態でした。選手の皆さんの滑走を実際に見たり、いろいろと試行錯誤したり、どうしてもわからないことは大学の先生に聞きに行き、また協力を仰ぐなどして、この1号機のプロジェクトの中で学び、成長していった部分が大きかったと思います。

さて、女子チームの皆さんも是非このボブスレーを選手権で使いたいと言ってくれ、この段階で、ようやく、「日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟」の正式認可を受けました。

ところが、何と、この後、日本の女子チームはいろいろな事情からソチ五輪には出場できないということがわかりました。みながっかりしましたが、気を取り直し、この1号機はそのまま女子チームにプレゼントして、引き続き当プロジェクトで、男子代表チームのもの(2号機)を作りました。やはり2人乗りのそりです。この2号機から日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟と大田区産業振興協会で包括協力協定を結び、強い協力関係ができたため、試走→データ取得→改良という流れや、選手の要望をもっと製作に活かすことが、更にスムーズに、効率的にできるようになりました。

本来、私たちの工場での仕事というのは提案型のものが多く、何かを作ってくれ、と言われたときに、「はい、わかりました」ではなく、「ここの部品形状はもっとこうした方がいいですよ」とか「こうしたら、もっとコストが安くなりますよ」といった提案をいつも行っています。改良提案といったことは、大田区の町工場は本当に得意なのです。連盟との協力ルートがしっかりでき、そりのことも1号機を通して、かなりわかってきていたので、こうした私たちの強みも、どんどん活きてくるようになりました。

ものづくりの火を消すな

2号機は1号機に比べ、少しコンパクトになっています。空力抵抗の上では、1号機に少し劣るのですが、その分50kg車体が軽くなっていますので、ボブスレーを押して飛び乗るまでのスタート時(このときの速さが良いタイムを出す上で非常に重要です)には、軽さのメリットが出て、タイム的には良い結果が望めるのではないかと思っています。

他に1号機より進化しているところと言えば、2号機は振動吸収効果を考えてフレームの一部を楕円にしました。これはもう板金屋さんの手作り。また、シャフトをできる限り軽くするため、棒の真ん中を中空にしてありますが、これを作るのは非常に高度な技術が要ります。基本的には日本刀のように叩いて圧延する鍛造で作っていますが、このシャフト1本に7社の技術協力と11工程を費やしているほどです。

この2号機の制作費は1500万くらいです。費用のほとんどはそりの躯体部分に使う炭素繊維強化プラスチック(CFRP)と、どうしても必要な規格部品の代金ですね。1号機と同様、我々の部品加工費などは無料です。

この「下町ボブスレー」のプロジェクトはメディアにも取り上げられて、お蔭さまで大きな注目を集めることができスポンサー企業も増えました。大田区産業振興協会に寄付を持ってきてくださるおじいちゃん、おばあちゃんもいて本当に嬉しいです。私たちも、そり作りだけでなく、いろいろな方面からボブスレー日本代表チームを支えていきたいということで、休日にはイベントに出席したりして募金活動を行い、資金を集めています。

大田区の町工場は、今、いろいろ頭の痛い問題を抱えています。加工機械はどんどん高くなり、それなのに部品価格は安くなっています。しかも、大手企業の部品調達はグローバル化に拍車がかかっていますから、町工場を取巻く環境は非常に難しいのです。

こうした状況で製造業者の起業というのは事実上無理で、大田区の町工場数が今後増えていく、といったことはまず望めないでしょう。また、状況の厳しさが、後継者問題という大変な難問も生んでいます。私自身は二代目なんですが、この大田区の町工場のためには、二代目、三代目が何としても頑張らなければと思っています。大田区の、引いては日本の、ものづくりの火を何としても消したくないというのが、私たちみんなの共通の思いなのです。

現在の大田区の様子(「下町の工場地帯」というイメージとは様変わりしている)

町工場の未来のためにも、「頑張れ、ボブスレー」

高度成長の頃は、仕事は「そこ」にありました。しかし、今は仕事をこちらから取りに行かなければ生き残れない。それは、私たちだけでなく日本の製造業全体に言えることだと思います。そういう思いが強いメンバーが、この「下町ボブスレー」プロジェクトに集まっています。また、私個人としても、このプロジェクトを通じて、大田区の町工場の方々を良く知るようになったことが一番の財産だと思っています。同じ地域で同じように工場を構えていても、意外に、よその工場ことはよく知らないものなんですよ。それが、このプロジェクトを推進する中で、こんなものを作っている工場がある、あんなこともできる工場があるということを今更ながら知り、私自身もこの大田区工場地帯の持つ潜在力や価値に気付きましたし、それを本当に誇りに思っています。

個々の町工場の力で戦っていくには、当然ながら限界があります。この大田区にある工場は相互につながって、そのネットワークの力を活かしていくことが、これからは絶対に必要になると思っています。例えば、ISO認証一つとっても、一工場で取得するとすれば、かかる費用は莫大ですが、大田区の町工場全体で取るとすれば、その費用も賄いやすくなるでしょう。そして、今後、航空部品など製造単価が高く、投入技術が高度で、新興国がなかなか真似しにくいといったタイプの部品製造に参入していきたいと考えています。大田区は、羽田空港に近いという地の利をもありますから。

この「下町ボブスレー」プロジェクトは、日本のボブスレーチームのためであると同時に、大田区の町工場の未来のための実験でもあるのです。

付記

この原稿を作成した後、ソチ五輪のボブスレー男子2人乗り用そりの選定結果が発表され、ご存じの方も多いと思いますが、残念ながら、「下町ボブスレー」製そりの選定は、今回は見送られました。しかし、「下町ボブスレー」プロジェクトは、2018年の平昌(ピョンチャン)五輪を目指して活動を継続するとのことで、現在、それに向けて、そりの試乗やそのデータを基にした改良などに、鋭意取り組んでおられます。
楽しみは先伸ばしに!
次回の冬季五輪では、氷上を疾走する「下町ボブスレー」の雄姿を期待しています!!

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