HOME

特集: 防災とインフラ整備の科学

苦難を乗り越え、災害に強い社会の構築を

平川 新 先生 インタビュー

東北大学災害科学国際研究所
所長


Hirakawa Arata

1981年
東北大学文学研究科博士後期課程中退
1981年
東北大学文学部助手
1985年
東北大学教養部助教授
1996年
東北大学東北アジア研究センター教授
2005年
同 センター長
2012年
同 災害科学国際研究所教授・所長

今回は、「防災とインフラ整備」というテーマから、東北大学に2012年4月に新しく創設された「災害科学国際研究所」を訪問してお話を伺ってきました。

早速ですが、平川先生はこの研究所の所長で、しかも、 ご専門は歴史学(古文書学)なんですね。このサイバネットニュースの取材で、文系の先生にお目にかかるのは、実は初めてです。

図1 津波で損壊した土蔵から古文書のレスキュー(石巻市)

「科学」の名を冠した研究所の所長が文系の人間であるということと、それに「国際」を冠しているということが、この研究所の特色になっていますね。

そもそもは2007年に7人で東北大学の防災拠点を立ち上げたのが、この研究所の始まりです。当時、40年周期と言われる宮城沖地震が、10年内に70%の確率で起こると予測されていたのです。いつ来てもおかしくないということですよね。それで、大学でその備えをしておこうということで、有志で防災研究拠点を作ったのです。

当時も、東北大学には災害関係の研究者がたくさんいましたが、どこにどんな研究者がいるのかが、大学の内外どちらの人間にもよくわからず、各研究者も個別に、自分の研究を通じて社会につながっているという形が多かった。大学全体の防災研究の実体や規模、陣容などは、よく見えませんでした。そこで、まず、防災拠点としては、それぞれの研究者がどんな研究を行っているのかを大学全体で把握し、同時に、それを大学の内からも外からも見えやすくして、研究成果を効果的に発信していける体制を作っていこうということになった。これが1つ目の目的でした。

また、そもそも、各専門分野の研究だけでは、現代社会の幅広い防災ニーズに対応できないのではないかという思いがありました。専門研究というのは専門化しすぎることがありますが、真に社会に有用な研究を行うためには、文系理系の区分から自由な学際研究が必要なことも多いですよね。単独分野ではできないような研究が、異分野の研究者が集まればそれなりの方法論が見え、できるようになるのではないか、その方が研究に社会的な広がりも出てくるのではないか。そうした観点から文理連携型の研究体制を整えようというのが、2つ目の目的です。

このように、本学の文系・理系での災害関係研究を把握して統合し、外部に対して、より有用な研究を、より効果的な形で発信できる体制を整えることで、来るべき地震に備えておこうという発想で拠点活動を始めたのです。幸い、皆さんが賛同してくださり、すぐに人数が増え、同年(2007年)に早くも工学、医学、脳科学、情報、経済、法律など19分野から21人の研究者が集まってくれました。組織の名前も「東北大学防災科学研究拠点」とし、大学も全面的にバックアップしてくれました。

図2 津波で損壊した旧家から古文書のレスキュー(南三陸町) 3.11大津波のあと、62軒の旧家から古文書約5万点をレスキューした。これらの分析が進めば、地域の歴史が大きく解明される

2008年に岩手宮城内陸沖地震が発生したときには、こうした体制ができていましたので、防災研究拠点としての活動をすぐに始められました。例えば、メンバーの調査研究を1ヵ月後にはもう、「岩手宮城内陸地震から1ヶ月後報告会」として発信しました。土石流などが発生して、家が流されたり人が生き埋めになったりしましたので、たくさんの震災報道がありました。しかし、学術的な見地からの報告会を地震発生の僅か1月後に行ったというのは、本当に早かったと思います。しかも、この報告会は本学で行ったのですが、私たちも驚いたことに、たくさんの市民や報道関係者が集まってくださいました。一般の人たちの間にも学術的な側面から地震のことを理解したいという強い欲求があるのだと、このとき痛感しましたね。

図3 東北大学青葉台キャンパスの校舎。何事も無かったように見えるが、この校舎のすぐ近くにあった校舎(複数)は被害を受け取り壊され、すでに更地になっている。

こうした経験から、2011年の3.11のときも、1ヵ月後からすぐに報告会を始めて3ヵ月後、6ヵ月後、1年後と、年4回、約60本の学術報告を行いました。2008年のときの反省からもっと大きな市中の会場を借りてやったのですが、報道陣はもちろん、このときも多数の方が集まってくれ、立ち見が大勢出るほどでした。特に、1ヵ月後の報告会では、学術的な報告会ではありましたが生々しい報告が多数寄せられ、会場も厳粛な熱気に包まれました。現在、この報告会で行った全報告を出版社の要請で2巻本にまとめ世に出そうとしているところです(平川新・今村文彦編集『東日本大震災を分析する』全2巻、明石書店)。多種多様で、興味深い研究成果ばかりが収録されています。ぜひご覧いただきたいですね。

そういうわけで、2012年4月に、本学に「災害科学国際研究所」ができたというのは、前年に3.11があったから東北大学にそうした施設を作った、といった話ではなく、これまでの「防災科学研究拠点」の活動という強固な下地があってのことなのです。しかも、3.11後は拠点メンバーも21人から40人とほぼ倍増していました。ここに東日本大震災に関する情報の収集発信拠点があるということで、研究者がどんどん集まってきてくれたのです。

あのような大きな混乱の中で、窓口がある、集まれる場所があるということは、本当に大切だと思います。

そうなのです。海外からの取材対応も拠点メンバーが随分やりました。東北地方のことをほとんど知らない海外の研究機関などからも、次々に、被災地に入りたいという要請が本学に入ってくる。その方たちの便宜を図って状況を見て伝えてもらい、また、私たちの側からも世界に発信していくということですね。こうした役割は、設立当初から非常に意識していました。機関の名称の「国際」という文言は、それで敢えて入れたのです。今回の体験とそれを乗り越えて、東北地方が復興していく過程は、これから長く世界に発信していかねばなりません。

世界には災害多発地域がたくさんあります。同じ災害の多い地域に住む我々としては、今回の体験やこれまで営々と積み上げてきた研究成果を、是非世界の人々の役に立ててほしいのです。それは、本研究所の使命であると最初から考えていました。

この地域の地震も、あの3.11で一段落というわけではありません。この研究所には地震学者が大勢いますが、近い将来に再び大きな地震の可能性があると言われています。それがいつになるのかはわかりませんが、「この次」への備えが、今後は本当に大切になると思っています。

災害に対して心構えをし、対策や準備を整えておくということですね。

まずは、防災教育を徹底しなければならないでしょう。今回の地震津波でも、正しく危険を判断して逃げることができれば、助かっていた人はもっと多かった。ですから、人間の危機に対する判断能力を高めていくということが大切です。この研究所ではそうした研究課題を重視し、「人間・社会対応研究部門」という部門を設け、「災害情報認知研究分野」という分野を作りました。脳科学と心理学の見地から、人間が危機情報をどう判断するかという研究を行っています。心理学的な研究も大切ですが、脳がどう判断するかも重要で、災害の際にどういう警報や情報を流すのが効果的かといった現実の問題と密接につながります。これも、文理連携型の研究のひとつです。

更に、災害情報認知研究の一環として、実際の津波で生き延びた方々のヒアリングを行っています。どういう状況で津波に遭って、どういう判断をして生き延びたかということです。今回の津波では、およそ2万人の方が亡くなりました。しかし、もっと多くの方が幸い生き残った。あの極限状況の中で生死を分けたのは何なのかということですね。「生きる力プロジェクト」と名付けているのですが、危機に遭遇したときに、その危機を回避する判断力を、そうしたヒアリングデータの中から探ろうという試みです。今回の被災体験は数多くありますが、そこに我々は学術のメスを入れ、体験談を超えて、生き残った方々の判断の共通性などを抽出・体系化し、防災教育に生かしていく要素を見つけたい。ひいては、幅広く危機に遭遇したときにどうしたら生き延びられる判断力を身につけられるのかというところまで、分析したいと思っています。正に人間研究ですね。

それは、「助かって良かった」というところで終わるのではなく、ノウハウとして誰にでも伝えていくことができる知恵になりえますよね。

そうです。こうした防災教育は本当に大事です。日本人が地震のとき固い机などの下にすぐ潜るというのも、小さい頃からそう教え込まれているからこそなんですよ。それは、やはり子どものうちがいい。大人だと反射的な行動になるのは難しい。知識を身体化できないのです。もちろん、今回、九死に一生を得るような経験をした方は、これからは、どんな小さな津波でも逃げるでしょう。今回のことで教えが身体化されたからです。しかし、大人はそういう身に染む体験を経ないとなかなかそこまではいけません。いろいろ考えてしまいますからね。

確かに避難すればいいと、言うのは簡単ですが、なかなか難しいですよね。今回のように、地震の発生がお昼の2時過ぎというような時間だと、仕事中ですし。どういう事態であれば仕事を放り出しても逃げるべきなのか。実際は悩ましいでしょう。

そういう研究もすでに行われています。まず、回りの人を見る。他人を窺って自分の行動を決めようとする。ですから、そこで、「逃げなきゃ!」と言ってくれる人がいることも、多くの人々が助かるための大きな要素なのです。避難が成功するかどうかには社会的な要因も確かにあるのです。この地方にある「津波てんでんこ」という言葉は、津波になったら、とにかくてんでに逃げろという意味で、今回の地震の後、全国にも広く紹介されましたが、自分が逃げるだけではなく、人にも声をかけて逃げることができる人、そういう判断ができる人を、少しでも多く作るということですね。

避難に関しては、その他にも、判断にかかるいろいろなバイアスがあります。今回の津波では、前年の2010年に出た津波警報が予報よりかなり小さく終わってしまい、それが「ハズレ予報」という感じでネガティブに報道され、その記憶が大きく避難に影響したと言われています。一人でも多くの方を津波から救うためには、そうした報道のあり方も考えていかなければならないと思います。「あんな小さな津波で避難警報なんか出すな」というのではなく、「警報は外れたけど、外れて良かったね」といった方向に変えていかねばなりません。とにかく、避難して損はない、ということです。今回の津波は余りにも大きな代償でしたが、その後、津波警報については、マイナスイメージを与えるような報道は少なくなりました。

この地域では本当に頻繁に津波警報が出されているんですね。そして、これからも津波に見舞われることは避けがたい。とすると、今後の復興のまちづくりのあり方も検討課題が多いですね。

それには特に工学系の研究が大きな力を発揮しています。特に地震や津波のシミュレーションを使った研究ですね。また、本研究所での過去の地震とその際の津波のシミュレーションを利用した研究などから、今回の地震も、当初言われていたような貞観年間以来、つまり1000年間隔の地震ではなく、400年間隔の地震だったということがわかってきました。そして、この地域を襲う数百年に一度の規模の地震・津波と、数十年間隔で来る地震・津波がある、ということもわかってきています。

3.11の経験を無にしないよう、今度こそ災害に強いまちを作りたいということで、今、復興まちづくりも始まっていますが、その構想の基礎になるデータ、津波シミュレーションや人口動態など地域のデータなども私たちは提供しています。それを、地元の方や行政の方々に広く利用していただきたいですね。客観的な基礎データをきちんと確保して、提供する役割をはたしていきたと思います。

しかしながら、数百年に一度という規模の津波になると、堤防といったハード対策だけでは無理で、いろいろな防御策を組み合わせていく必要があります。多重防御の考え方ですね。この多重防御という点から必要なのは、科学的、工学的データだけではありません。津波は昔もあり、当時からたくさんの人が浜近くに住んでいたわけですよ。では、その人たちはどうやって生活していたのか。

そうですよね。この地域の津波は今に始まったことでは ない。

仙台平野の沿岸地帯には「浜堤列(ひんていれつ)」という独特の地形があります。そこは周囲の土地より少し高くなっている。でもほんの少し、1メートルくらいのものなんです。しかし、そこに江戸時代から集落が作られていて、今回の津波でもそうした浜堤列に作られた江戸時代以来の集落は、実は被害が少なかったのです。たった1メートルの高低差があるだけなのに、ですよ。そこには、やはり我々の先祖の、地形を読み、水の流れを読むという知恵がある。

また、民俗学の研究からは、三陸漁村の人々は津波の襲来を生活の中にある程度織り込んできたということもわかってきています。例えば、津波などの後には養子縁組が内陸地帯に比べ、極めて簡単に行われています。そうすることで、子どもを亡くした人が、親を亡くした子どもを引き取るといったことが広く行われていた。これは、三陸地域には古くからある慣行だと思われ、そうやって、大災害に見舞われやすい土地で、家を維持したわけですね。復興して住まいを高いところに作ればいい、と言うことは簡単ですが、長い歴史の中では、災害の中で生き抜く様々な知恵が、ある意味磨かれてきてもいるわけです。そういった古くからの知恵も是非伝えていかねばなりません。そこで、「災害文化研究分野」という分野を本研究所では設けています。歴史や習俗という点から災害文化のあり方を分析していこうということです。災害対応そのものが、日本列島のような災害の多い土地柄ですと民俗文化の一つになっていることもあるわけです。いわば、危機対応の文化というものでしょうか。

それも民族が持つ大切な文化遺産であると。

そうです。しかし、そういう視点は、従来の理学や工学を中心にした防災研究からは、なかなか出てこないものです。ですから、こうした視点からの研究を集めているところにも、文理連携型の当研究所の意義があると思っています。ハード面だけでなくソフト面からも災害理解を深めて防御体制を整えることが必要で、それが本当の意味での「災害に強いまちづくり」につながると考えています。

明治以降の社会というのは科学に依存してきました。それは、主としてハードの部分であり、確かにもの凄い進化を遂げてきた。今回の地震でも建物はあまり倒れておらず、被害の多くは津波によるものです。しかし、ハードの限界も、特に3.11のような低頻度で起こる大規模災害では認識しておく必要があります。

今回の地震を受け、また南海トラフを震源とする巨大地震や首都直下型地震への備えということで、「BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)」ということがよく言われるようになりました。それぞれの企業が災害時にどうやって事業を継続するか、普段から計画を立てておこうということですね。備えておくこと。それは、企業だけではなく全ての人にとって大切なことです。職場で家庭で地域で、みんながそれぞれ自分なりの事業や生活の継続計画を考えておく。災害対応のシミュレーションをしておく。それができている社会が本当に災害に強い社会、つまり災害対応型の社会だと思います。私はこれを、「SCP(Social Continuity plan:社会継続計画)」と名付けたいと思います。

「こうして身を守るんだ」という防災思想が社会の隅々にまで、それこそ一個人に至るまで徹底し、「それが普通」というレベルにまで到達していること、それが、防災においては、実は一番重要なことなんです。

この研究所も、科学研究に裏打ちされたハード面での研究とともに、人間と社会を分析し、双方の成果を総合的に発信することで、我が国にこうした防災思想を普及徹底させるための働きを、息長く続けていきたいと考えています。

◆インタビュアーから一言

2011年に起こった、あの3.11の震災から、早や2年の月日が流れました。しかし、復興の道のりが本格化するのにさえ、まだまだ時間がかかりそうです。また、原子力発電所という、極めて深刻で厄介な問題にも解決の道筋は見えていません。しかし、大災害に度々見舞われてきたこの地域が、その度に災害に対処する知恵を蓄積しながら、逞しく甦ってきたのだということも、平川先生のお話から強く印象付けられました。

いろいろな復興計画も、この地域の皆さんが、どうすれば安心感を持って幸せに暮らせるのかに深く配慮したものであってほしいと思いますし、地域の外からどんな応援ができるのかも、この悲劇を忘れずに、長いスパンで考えていかなければならないことだ、という思いを強くしました。

お忙しい中、お話を聞かせて下さいました平川先生、有難うございました。

1/5

(2/13)