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「見える化」技術

人・車・街の姿を可視化する

東京大学大学院
工学系研究科システム創成学専攻
教授
吉村 忍


先生が研究しておられる交通シミュレーションについて、お話を伺わせていただけますか。

図1 知的エージェントと環境

まず、人間がたくさん道路空間に出てきて交通という現象になるということですよね。運転しているとき、人は周囲を見て情報を取得し、その結果として停止とか加速、右折といった判断をします。こうした情報に基づく判断が不特定多数の間で起こる。それが交通です。当たり前のことですが、それを当たり前のままにモデル化しているのが、一言で言えば、私たちの交通シミュレーションです。

モデル化の基礎情報は視覚情報が中心です。しかし、交通の特徴は、同一の情報から異なる行動が生まれるということです。「信号が赤になりそう」という情報に対し、停止する人と加速する人がいる。また、「この交差点では何度か危ない目に遭った」といった記憶も判断に影響します。このように、交通の場面では一人一人が、何らかの情報に基づき判断をする「知的エージェント」(=自律的に判断し行動する主体)と言えるのです(図1)。

こうしたエージェントが集まるとエージェント同士の相互作用が生じ、一人のエージェントの行動が他のエージェントにとっては外部環境の一部になります。こういった関係性は複雑系と呼ばれますが、複雑系においては、現象を過度に単純化せず複雑なままモデル化することが大切だと私は考えています。そこで、各自別個の判断をし行動するという知的エージェントを前提としたモデルで、しかも、少人数から、1000人なり1万人なりの間の相互作用にまで拡張していけるようなモデルができないものか、と考えて今のシミュレーションの形に行き着きました。


交通問題を研究してみようと思われたきっかけは何だったのですか?

この研究は1999年にゼロから始めました。東大に新領域創成科学研究科という新しい研究科ができたとき、私は一度、工学研究科からそこの環境学専攻に移ったことがあり、そのとき、せっかくだから、環境問題の本質に迫るようなシミュレーションを新たに立ち上げられないかと思ったのです。多少複雑な現象もきちんとモデル化する物理シミュレーションの訓練は積んでいたし、最新の並列計算機を使いきる自信もありましたから、何かできるんじゃないかな、と。

ちょうどその頃、私が住んでいる千葉では、船橋と市川にある三番瀬干潟を埋め立てて第二湾岸道路などを作ろうという計画に対し、開発派と干潟保全派が対立していました。しかし、討論などを聴いていると賛否以前に、第二湾岸道路は本当に必要なの?という疑問を持ったわけです。湾岸道路を含む、他の東京-千葉間の全道路について交通量の定量化などを行い、厳密な検証をした結果の判断なの?と。「湾岸道路が混んでるから」というだけでは、建設の根拠として余りに大雑把という感じがしたんです。道路を作る前に交通のマネジメントをやれば、もっと精密な状況がわかるんじゃないか。自分ならどうする?幸い既存の交通シミュレーションをよく知らなかったので、自分なりにゼロから考えたわけです。交通問題は量的測定に馴染みやすいし、私はもともと人工知能やニューラルネットワークなどの研究もやっていました。交通は人間が起こす現象ですから、そうした研究領域とも親和性があります。それで、自分がやってきたことを応用して交通問題の面白いシミュレーションができる、という感触が得られ、では、やってみようとなったわけです。

先生が自分なりのお考えでやってみたというシミュレーションの特徴は、どういったものなのですか?

私たちのモデルの特徴は、交通は無機的なものではなく、人間という自律的行動主体が集まって相互作用する結果である、というボトムアップ的な交通観で作っていることです。そのため二種類の複雑さ、すなわち(1)ドライバーや歩行者など交通主体である人間(=知的エージェント)自体の持つ非均質性・多様性や複雑性、(2)自律的に判断し行動を起こす知的エージェントが多数集まり相互作用することによって生じる複雑性、を二つながら考慮してシミュレーションを行っています。そのため、私たちのシミュレータは既存の交通シミュレータより遥かにオーバースペックですが、その分余力があるので、新たに登場してくる様々な交通課題を容易かつ柔軟に扱えます。

岡山市の路面電車延伸についてのシミュレーションもされてますね。

図2 岡山の路面電車延伸シミュレーション

はい。適切なモデルを作り、交通現象を構成する様々な要素をコンピュータの中に再現できれば、そこでいろいろな社会実験ができるわけです。私たちはこれを仮想社会実験と呼んでいます。たとえば、何割の人が高性能カーナビを持つと交通環境がこう変わる、みたいなことが、コンピュータの中で試せる。岡山市の場合は路面電車の軌道を延伸した場合の、路面の交通状況の変化をシミュレーションしました(図2)。

そもそも、交通のようなボトムアップ的な現象は、ボトムの相互作用が連鎖的に起こるため、どこを直せば全体的なシステム改善に繋がるかはよくわからないのです。混雑緩和のため信号の時間を変えると、その交差点は混まなくなっても別の道が混み始めたり、また、スムーズになったその交差点にドライバーが集まってきたり、これまで車での外出を敬遠していた人が乗り始めたり、とちょっと考えただけでも、種々雑多なことが起こりうる。ただ、それをきちんと認識したモデルさえしっかり作っておけば、シミュレーションが威力を発揮します。

今後のITの発達を考えてもシミュレーションによる交通予測は非常に有用です。今のドライバーは混雑情報をオンラインで得ることができ混雑回避が容易になったように見えますが、みんながカーナビなどの情報通りに行動すると、ただ渋滞が移動するだけということにもなる。すでに、ディズニーランドでは混雑具合のアナウンスを常に事実通りには行わず、ある程度誘導的に行ってお客を分散させていると聞きます。しかし、交通情報は公共性が強いので、結果的に「この情報は本当なのかな」とみんなが思い始め、交通情報の根本的な信頼性を疑わせるような手法は採り得ない。ですから、カーナビの増加が交通量にどう影響するかといったシミュレーションが重要になるのです。どういう頻度でどんな情報を流せば、路面状況が最適化されるかといったことが、事前にある程度わかりますからね。


現実に合ったモデルがあればより精度の高いシミュレーションができ、いろいろな場面で役に立つということですね。

図3 交通シミュレータを用いた排気排出量の推定

はい。私たちのシミュレーションは拡張性がありますので、渋滞は起こるか?とか、移動時間の変化といったことだけでなく幅広い場面で使えます。たとえば、私たちは車一台一台の時々刻々の動きをトレースしており、実際にどういう速度で動き、加減速がどうなっているかといった情報も全部データとして取り込めます。それを一般財団法人石油エネルギー技術センターが構築した車の加減速と排気排出量のデータベースと照合すれば、交通の流れが変わったことで街の排気排出量が空間的時間的にどうなるかが定量的にわかるのです。また、交通状況の変化に伴う経済効果の評価も行えます。つまり、信号の現示パターンを一箇所変えたとして、それが、まず街の交通にどう影響し、環境にどう影響し、ひいては経済にどう影響するかを定量的に見ることができるのです(図3)。

特に交通の場合、ドライバーや歩行者、鉄道事業者、バス・タクシー会社から商店街の人たちまで利害関係者が多いので、何かを変えようとすると多様なプランが出てきます。それらを簡単にシミュレーションで相互比較できれば大変便利です。

私たちは、岡山市の他にも、千葉県柏市ではデマンドバスの社会実験の効果を評価する再現シミュレーションを行い、その上で最適なバス運行回数などを調べる実験をやりました。今は、電気自動車の影響評価、すなわち、走行可能距離が短く充電が頻繁に起こることに伴う社会的影響やリスク評価を行っています。


今後、人口構成の変化などで交通の状況は大きく変わると思いますが、そういう場合も、事前にシミュレーションができれば便利ですね。

そうです。同時に、評価プラットフォームとしても機能します。現に、今、ITS技術開発の分野では車車間通信や路車間通信の研究開発が盛んですが、それらの技術の評価を行っています。車車間通信とは交差点などで車同士が通信して情報交換し事故を防ごうといった技術で、各メーカーが独自で様々な通信/電気機器技術を開発しています。しかし、それを現実社会で実装したときにどのような効果があるかということを、定量的に評価する方法が無かった。評価というからには、第三者的なもので、かつ各社で共用できるものが望ましいですよね。私たちが開発したシミュレータは、まさにそういうプラットフォームの役割を果たせますので、かなりの規模で車車間通信が実用化されたらどうなるか、というバーチャルな社会実験を、各社に、私たちのコンピュータ上で試みてもらえます。

交通の問題は私たちの生活と密接に関連しています。多くの人たちに私たちのシミュレータを役立てて頂き、是非、身の回りの交通や街の環境に関する議論を深めて頂きたいと思っています。

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