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「見えるか」技術

CG を豊かにする数学

株式会社
オー・エル・エム・デジタル
研究開発部門ビジュアルエフェクト/
R&Dスーパーバイザー
安生 健一 氏


今回の「見える化技術」のコーナーは、多くの数学知識を 駆使して映像表現を進化させているというコンピュータグラ フィックスの世界に着目し、「ポケットモンスター」などのアニ メから「十三人の刺客」といった実写映画のVFXまで幅広く手 がけている株式会社オー・エル・エム・デジタル(以下、OLM デジタルと略)を訪問しました。お話を伺ったのは安生健一取 締役です。同氏は、CG制作の専門家であると同時に、九州大 学で客員教授も務めておられる企業内の数学者です。

まず、コンピュータグラフィクス(以下、「CG」と記述)の 関わりというか、CGに携わるようになった経緯について お聞かせ願えますか?

CGの歴史は、アイバン・サザーランドが1962年に作った 「スケッチパッド」の開発から始まったと言われています。こ のシステムは、コンピュータ画面にライトペンで三角形を描 いた単純なものですが、「図形を描く・インタラクティブであ る」というCGにおいて今もなお重要な2つの基本要素が、す でに含まれています。それからわずか20年後の1980年代に はコンピュータで1600万色を表示できるディスプレイが開 発され、いよいよ高精細カラー描画が可能になり、CGの技術 開発が進展していきました。私は1982年に日立製作所に入 社しましたが、丁度そのころIBMワトソン研究所にいたマン デルブロ等の研究グルーブが自己相似性(フラクタル)を利用 して、月面の複雑な凹凸やクレーターをCGで作成しました。 たまたま新聞でその画像を見た上司が、当時は機械製品など のCADの描画確認イメージでしかなかったCGでも、自然物 形状のような非常に複雑な対象までも表現できるらしいから やってみようと言い出し、理論的には数学と関係が深そうだ というので数学専攻だった私に、その研究課題が回ってきた というわけです。『フラクタル・ジオメトリ・オヴ・ネイチャー』 という本をぱらぱらめくりながら、コンピュータでの表現方 法をいろいろ試行錯誤したことを思い出しますね。

現在は、どのようなCG分野の研究をしておられるのです か?

図1 爆発の演出的なシミュレーション
外形がハート型になるような演出効果を出しつつ、炎の動きには 物理シミュレーションを使い本物らしく動かす

CREST(戦略的創造研究推進事業)で「デジタル映像数学の 構築と表現技術の革新(研究領域:数学と諸分野の共同によるブレークスルーの探索)」というテーマで、数学者とCG研究者 による共同研究を推進中です。表示対象は、特に人間と流体現 象にフォーカスしており、CGの中でも物理シミュレーション ではうまくいかないものを、数学を使って解決できないかと 考えています。数学と映像の世界を橋渡しする翻訳者。それが、 今の私の役割ですね。

たとえば、アニメや映画の監督がある演出効果を意図して、 「この煙はこんな形でこんな風に動かしたい」という場合、そ れが現実の物理現象としてはありえない形状や動きであるこ ともあります。CGはシミュレーションではなくあくまで映像 としての「効果」なんですね。このような場合に、もちろん自然 科学の知識も使いますけれど、数学の力も借りて演出意図を 実現しようとしているわけです。

また、人間を表示対象として扱う場合、顔の表情のCGは物 理法則を利用するやり方ではできません。なぜなら、人間の意 志や個性も踏まえた表現が必要になるからで、物理シミュレー ションに代わる数学的なモデルが必要になります。手始めに、 既知のアニメーションデータを学習してそれをモデル化して (学習理論)、こういう場合はこういう表情になるのでは?とい う推測が成り立つ数学的枠組みを研究しています。

他にも、人間の視覚認知の仕組みを考慮したCG表現形式の ような、これまで物理などの自然現象に関するサイエンスで は扱っていなかった対象を、数学を使ってモデル化したいと 考えています。たとえば、ある表情のCGができたとします。 「お、これは前のよりいいね!」。しかし、何をもって前のもの より良いと感じるのか?なぜ?どこが良いのか?このような 疑問に対して、数学を使い数値的に分析して説明できるよう になるかもしれません。まあ、感情と表現の空間があって、そ の「場」に適用できる何かうまいパラメータを発見できるとか、 究極的には何らかの相関式が立てられるとか、そこまで行け ればいいのですが、別にそこまで行かなくても、感情と表現の 相関に数学的な意味付けができるだけでも大きな意義があり ます。その意味付けされた概念を数学の世界で発展させるこ とができるようになるからです。

このようなところまで実現できれば、従来無かった数学の 一分野ができる可能性がある。数学というのは、一旦、数学的 概念として把握できれば、そこからある程度広げていくこと ができますからね。そうなれば、数学分野で発展した知見は再びCG側にフィードバックされて、CGの世界をさらに豊かに するという好循環ができると思うのです。

実は私は「映像数学」みたいなものをイメージしていまして、 そんな数学分野ができることを夢見ています。今のところ、数 学の力をいろいろと借りてCGを作っていますが、CGの世界 から数学への恩返しはできていません。今は借りる一方なん です。ですから、そんな分野が今後出現すれば、CGという全 く新しい人類の知見から、長大な歴史を持つ学問分野である 数学に、何らかの貢献ができるのではないかと夢想している わけです。


ところで、どんな数学の知識がCGには使われているので すか?

図2 ブレンドシェープのための直接操作法
顔への直接操作により、多数のパラメータ推定を可能にする


図3 表情の移植
あるモデルの表情アニメーション(図の上の左端)を様々なモデル (左端以外の3体)に移植し、かつ編集も可能にする

他の分野と同様、線形性という考え方は非常にベーシック です。たとえば、顔をメッシュに切ってその頂点列に順番をつ け、ベクトルを作る。これはものすごく長いベクトルになりま す。その一ベクトルが一つの表情に対応するわけです。そして、 大笑いした顔と普通の顔をこのベクトルで作り、その間を線 形補間すると、その途中にあたるようなニヤリと笑った顔も できるはずですよね。これは、ブレンドシェイプと言われる手 法なのですが、このような「顔」ベクトルを用いた線形モデル を利用しています。ただし、取っかかりの概念として線形性か ら入っているわけで、そこにどのような非線形な要素を組み 込むかはまだまだ試行錯誤している段階です。

誰かの顔の表情を別人や全く違うタイプのキャラクターに 移す数学モデルも、研究しています。直接表立った形では出て こないのですが、用いられる数学には、関数解析学的なアプ ローチがあります。あるキャラクターから別のキャラクター へ、ある表情を「移植」したいと考えたとき、まず基本となる 表情からの表情の変化量を計算します。顔の時間的な変化の 仕方は、キャラクターが変わっても似ているはずです。そこで それら変化量は大体同じである、というのを定式化するのに 微分やノルムといった概念を使いました。多数のキャラクター を扱う制作現場では、この技術だけでもCG作成作業が大幅に 省力化されます。

ところで、人間のCG研究というと、エンターテインメント にだけに利用されると思われがちなのですが、実はそうでも ありません。私はときどきCG制作の相談を受けますが、洗髪 直後の濡れた髪と乾かした後のふんわりサラサラな髪の感じ を比較できるようなCGを作ってほしい、という依頼を受けたことがあります。つまり、人間のCG表現を介して、商品の価 値や性能を評価したり、商品やサービスの魅力をよりわかり やすく伝えるといったことが可能になります。


20 世紀は物理学の世紀だったが、21世紀は数学の世紀に なるだろうという予言(?)もあるようですが、これからの産 業社会と数学の関わりについてお考えを聞かせてください。

これは日本だけの現象かもしれませんが、大学の数学科で 教えられているような数学、いわゆる純粋数学と、工学部など で使われる応用数学があまりに二極化されていて、その間を つなぐ数学がまるで無いという印象があります。アメリカな どでは、バリバリの純粋数学と応用数学の間に、コンピュータ 数学あり、数値解析の数学ありといろいろな数学に携わる研 究者が層を成しており、その全てが「数学者」であるという広 い捉え方が一般的であるように思います。幅広い層があると いうことは単純に数学に携わっている人が多いということで もあり、それだけでも羨ましいですが、まあ、だからというこ とではなく、アメリカの方が、数学が日本より社会に対しオー プンに開かれている気がします。

ガウスの時代などはそうだったと思うのですが、数学はそも そも、まず社会の中に解決すべき問題があって、それを数学的 思考で解決していく過程で、ある数式や定理/公理や、さらに 大きくは数学の分野が生まれてくるというのが自然の姿のは ずです。つまり、数学が役に立ったから数学の新しい概念や分 野が生まれる。それが一番自然な流れだし、社会の中で数学が 生きているという証しでもあると思うんです。21世紀が数学 の世紀になると言うなら、社会の中に生き生きと存在していた 数学の姿を取り戻したいですね。「一部の人がやっているもの すごく難しそうなこと。でも、現実に何の役に立つのかはよく わからない」という、数学に対する一般的イメージを覆すよう な、数学の新しい姿を追求していきたいと思っています。

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